メッセージの内容の強さとは裏腹に、やわらかな物腰と丁寧な口調が印象的な「株式会社ふらここ」の代表取締役、原英洋さんは、東京都出身の55歳。創業100年以上続く人形師の家で生まれ育った。
作家を志して大手出版社に就職したが、父が他界し、23歳で家業を継ぐことを決意した。父亡き後、社長に就いた人形作家の母のもと、倉庫で荷造りなどの下働きから始め、経営学についても必死に勉強した。がむしゃらに働く一方で、頭にあったのは、「このままでは、人形業界は衰退の一途をたどるのではないか」という漠然とした不安だった。そんな時、たまたま受けた1本の電話が、新たな道へ踏み出すきっかけとなった。
「当時、実家が経営する人形店で売り子をしていて、あるお客様からの電話を私が受けたのです。若いお母様でしたが、『両親からもらったひな人形を返品したい』と……。ご注文の承り伝票を確認すると、おじい様、おばあ様が買われた履歴が残っていました。『お孫様のためにせっかく買って下さったものを、キャンセルしていいんですか?』とお伺いすると、『いりませんから』と、本当にあっさりと言われたのです。衝撃でした」
「ひな人形は大きく豪華なものが良い」という考えが、長く、業界にはあった。それは、「ひな人形は祖父母が娘と孫へのプレゼントとして贈るもの」だったから。しかし状況は変わった。全国的に核家族化が進み、マンション住まいが増え、大きく豪華なひな人形を飾るスペースも収納するスペースも持たない家がほとんどになった。さらに大きく変わったのは、若い母親が購入の決定権を持つようになったことだ。
「それまでも売り場で接客をする中で、時代の変化を薄々感じていました。しかし、この電話で現実を突き付けられたのです。小さいサイズの人形を職人さんに提言し、実際に売れてもいたのですが、『こんなので売れるの?』と抵抗が強く、本当にやりたいようにはできませんでした。お客さまが望んでいる人形は違う方向のものだという確信があったので、20年勤めた家業を辞め、後を妹に譲り、私は独立することにしたのです」
45歳の時だった。伝統ある会社での後継ぎの独立問題となると、さぞかしもめたのかと思いきや、意外にすんなりいった。
「母は『だったら、やってごらんなさい』と。おそらく『うまくいかず、すぐに戻ってくるだろう』と思っていたのでしょう。ただ、私は必死ですから、貯金を崩し、生命保険を解約し、自宅を担保に入れて金融機関から借金。そうやってかき集めた創業資金、計2千万円でひな人形200セットを作って売りました。その売上金で今度は五月人形100セットを作り、販売したのです」
2008年、45歳の時だ。原さんが考える〝若いお母様の感性にフィットしたひな人形〟とは、赤ちゃんのようなやわらかい表情で、衣装はパステルカラー。びょうぶや飾り台は木目などを生かしたナチュラルトーン。幼稚園の女の子の手のひらにも載るコンパクトサイズで、飾りやすく、片付けやすい。その狙いはピタリと当たり、初年度から完売した。なお、「ふらここ」という社名は、奈良時代の春の季語で、「ぶらんこ」という意味。伝統と格式を重んじる人形業界では重々しい名前が良しとされるが、「これまでとは違う新しい人形」というイメージをお客様に伝えたい。しかし、手作りするひな人形はしっかりした昔ながらの技術を用い、クオリティーの高さは絶対に譲りたくない。そんな強い思いが込められた社名だ。
ところで、〝今のニーズ〟を重視したひな人形に、職人たちは反発しなかったのか?
「かなりの抵抗を受けました。しかし、それはある程度、覚悟していたこと。私の思いを分かってもらうために、いかに意を尽くせるかが一番大切だと思っていました。根気よく、地道に、理解してもらうまで説得を続けるしかないのです」
伝統的な人形は、繊細な目鼻立ちが特徴。原さんがめざす〝赤ちゃんのようなやわらかい表情〟にするために、何度も「彫りを取ってください」「凹凸をなくしてください」「もっと彫りを取ってください」とやり取りした。渋々応じていた職人も、売り上げが良ければ対応が変わる。初年度の完売から現在に至るまで、ひたすら右肩上がりの成長を続け、前年比120%を割ったことがない。そんな成長を目の当たりにし、今では職人たちから「こういうアイデアはどうでしょう?」と提案してくるようになった。
ふらここには、いくつもの〝常識破り〟がある。まずは「製造から販売まですべて手がける」という経営スタイルだ。
伝統的な人形作りは、すべてを1人の職人が作るのではなく、顔は顔、体は体、という分業制になっている。小売店は職人が作ったパーツをメーカーから仕入れ、そのパーツを組み合わせて販売する。つまり、一見すると小売店ごとに違ったひな人形セットに見えるが、よくよく細部にまで目を凝らすと、「これって別の小売店で見たのと同じ人形じゃない?」ということがあり得るわけだ。値段は店ごとに決めており、値引きによる販売を前提に、値段は少々高めに設定されている。
「私たちは、人形から衣装の布地まで、すべて自社デザインです。オリジナル性が高いことに加え、製造から販売まですべて手掛けることでお客様の声を拾い上げやすくなり、ニーズに合った人形を製造できます。また、最初から適切な値段を設定し、値引きは一切行っておりません。クレーム1割といわれるこの業界の中で、私どもではクレームが1件もありません。その理由は、すべてを職人さんにお任せするのではなく、最後の1割を社員が仕上げている点にあると考えています」
次の〝常識破り〟は、女性社員の多さだ。ふらここの社員26人(2月18日現在)のうち、実に25人が女性。人形業界で、ここまで女性の割合が高い会社はほぼないという。人形業界は今でも男社会だが、女性を積極的に採用している背景には、全員が未経験者ということも含め、原さんなりの戦略がある。
「購入決定権を持つのは若いお母様です。男性であり、年齢も違う私なら推測の域を出ないことでも、同じ年代の女性なら同じ感覚で人形作りに関わることができ、ストレートに商品へ反映できます。未経験者であれば、先入観にも縛られない。出来上がってくるものに対して、お客さまが高評価を抱く確率が数段違ってくる。たとえば人形の顔立ちでも、若い女性の好まれる顔立ちというものを、同じ年代の女性は感覚的に分かるのです」
女性の場合、結婚、出産というライフスタイルの変化が仕事に影響を与えがちだ。経営側にとっては、それが心配で採用に踏み切れないところもあるだろう。原さんは、社員本位の社内制度づくりにも力を入れている。会社で働く社員全員に「どんな会社であればやりがいを持って働き続けるか」と投げかけ、そこで集まった声をもとに社内制度を1年がかりで作り上げた。その後も社内制度は〝進化〟し続けている。今年から導入した「お互い様支援手当」は、新たにできた社内制度の一つ。産休・育休中の従業員の業務を代行した場合に手当を支給する。適用第1号は、産休の社員の業務を代行した社員だ。
「業界内では離職率の高さも耳にしますが、当社では社員本位の社内制度を作り上げた5年前から、新卒採用者のうち離職者はゼロです。この4年は新卒採用も毎年行っており、伝統やもの作りに興味を持つ若い人が来てくれています。私自身『こんなに!』と驚くほど。彼女たちは新しい取り組みに興味を持っている。面白そうと感じてくれているようです」
三つ目の〝常識破り〟は、これまたすごい。なんと、3Dプリンターで人形を作っているのだ。
本来、人形の顔は、造形をする職人が粘土を削って原型を仕上げ、それを別の職人に渡して型を取る。この型抜きの段階で、原型は壊れてしまう。お客さまから「もう少し目が大きい方がかわいい」といった声を聞いても、これまでの方法だと粘土をこねて一から原型を作らなければならず、当然、まったく同じ原型はできない。だから、お客様の声をうまく反映しづらい。
「3D機器を取り入れることで、パソコンの中で3次元の造形物を作り、プリンターで出力して原型を作れるようになりました。これなら、お客様のニーズに応じて修正したいと思ったときは、データを立ち上げれば済む。発売後も、お客様の声を聞きながら微調整し、より良いものに改良することが容易にできます。毎年いろんな種類の新商品を開発できるようにもなりました」
原さんがもともと3D機器に詳しかったわけではない。「購入決定権を持つ若いお母様の感性にフィットした人形をどう作っていくか」を追求する中で、3Dにたどり着いた。あてもなく五里霧中の中、手を差し伸べてくれたのは、知り合いの経営者の息子さんだった。たまたま3Dの話をしたところ、玩具メーカーでフィギュアの制作にかかわっていることを知り、3Dソフトのことを教えてもらった。今では日本語訳も出ているそうだが、当時はアメリカから入ってきたばかりで、取り扱い説明は全て英語。操作方法を確認し、マスターするだけで1年を要したという。
ソフトや機器の導入費用は約700万円。高額であっても、職人の高齢化などの問題もあり、「この先」を考えれば導入せざるを得ない、と決断した。最初は原さんが3Dソフトを用いたデザインを手がけていたが、いまは美大出身の女性社員が担当している。彼女が企画し、3Dソフトでデザインした今年の新商品の五月人形は、これまた〝常識破り〟なものだ。五月人形がハイハイしているのだ。
「正直、売れるのかなと思いましたが、新しいイメージをお客様に伝えていくことが大事。最後の評価をしてくださるのはお客様ですから」と原さん。その思いはしっかりと顧客に届き、ハイハイしている五月人形は、2種類のデザインとも、すでに完売した。
このように3D機器を使って生産、販売体制を構築したことが評価され、ふらここは18年度の「東京都経営革新優秀賞」の最優秀賞に選ばれた。
もう一つ、原さんが伝統を見直したことがある。職人との関係だ。伝統産業において、後継者不足は深刻な問題。人形業界も例外ではない。腕のいい職人がいなければ、いい人形ができず、売ることもできない。そこで原さんは考えた。
「不思議に思われるかもしれませんが、人形業界には、小売店がシーズン間際にメーカーから商品を仕入れて販売し、その売り上げから支払いをする習慣が残っている。しかし、それではメーカーが売り上げを得るのは節句のシーズンだけで、職人さんは1年間、食べていくのが大変。それでは息子さん、娘さんに後を継がせようとは思わない。だから私は、当たり前ではあるものの、職人たちに毎月給料を支払う。人形が売れ、仕事が増えれば、職人さんの収入も増える。そうなれば息子さん、娘さんに後を継がせよう、お弟子さんを育てよう、となるでしょう。安定した関係ができるのです」
原さんは取材の中で、「伝統を後世に伝えるためにはどうすればいいか、考えていかなければならない」と何度も繰り返した。原さんの考える「伝統」は、「昔からやってきたことをそのまま伝える」という意味ではない。
「多くの人が伝統に関して誤解を抱いていると思います。伝統とは、どこかの時代に新しくなり、それが今なお続いているから伝統。始まった当時ははやりものだったでしょうし、長い時代の中でその時代のニーズに応じて変容したから、いまも愛されているのです。ひな人形も同じ。後世に引き継いでいくには、そのままの形では古びていくだけ。その時代の人にとって好ましい形に変え、伝えていくことが伝統なのです」
原さんは今、異業種とのコラボレーションを考えている。すでにいくつかの業種から声がかかっているという。伝統を後世に残すためには、さまざまな試みで「ひな人形って、五月人形っていいな」と感じる人を増やし、すそ野を広げる努力がいる。それは結果的に、人形業界全体の隆盛にもつながる。
「時代から取り残されていては、もう衰退していくしかないのです。それは、私たち人形業界だけに限らず、すべての業界に言えることではないでしょうか」
株式会社ふらここ
本社:東京都中央区東日本橋3-9-8
電話:03-6231-1359
従業員:27人(2018年末現在)
資本金:500万円
創業:2008年
事業内容:ひな人形・五月人形を中心とする日本人形の製造販売
1963年生まれ。祖父は人間国宝の人形絵師、原米洲さん、母は女流人形作家の原孝洲さん。慶応義塾大経済学部を卒業後、出版社に勤務。87年1月、実家の「五色株式会社」に入社。同年3月に父が他界し、専務取締役として経営に関わる。08年に独立し、「ふらここ」を創業。売上高は前年比120%以上の成長を続けている。
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