生成発展 テクノロジーで変革する中小企業の未来

下町ロケット弁護士が語る
狙われる中小企業の知財

イノベーションの“虎の子”である知的財産を活用できなかったり、ましてや盗まれたりしたら、中小・ベンチャー企業の未来はない。どう知財戦略に取り組めばいいのだろうか。池井戸潤さんの小説『下町ロケット』において、中小企業側に立って戦う「神谷修一弁護士」のモデルとなった弁護士、鮫島正洋さんに知財戦略の要点を聞いた。

聞き手:Gemba Lab代表 安井孝之
photo:伊原正浩

―― 今年度に入り、知財保護を強化するために特許法が改正されたり、公正取引委員会が製造業者間で知財を侵害する行為に対する実態調査の結果を発表したりしました。知財保護が注目されていますが、現状をどう見ていますか。

公取の実態調査では、優越的な地位にある事業者が製造業者から知財を盗み取る事例などが列挙されています。盗み取られるのは中小企業だけでなく大企業の場合もありますが、実態調査で示された事例は、この15年ほどこうした事例にかかわっている私にとって、実態に近いものだといえます。また、実態調査の回答率が50%を超えたのは、政府のアンケートでは信じられない高さです。製造業者にとって知財を盗まれるというのは、今や致命的な問題ですので、現状をとにかく訴えたいという思いがあったのでしょう。

―― ノウハウの開示や特許の無償譲渡を強要されるような事例は、いつごろから横行しているのでしょうか。

今に始まった話ではありません。少なくとも私たちが中小・ベンチャー企業の業務に取り組み始めた十数年前にはすでにありました。私は50年ほど前から始まったのではないかと思います。日本の高度経済成長は、大企業である元請けと下請けとの持ちつ持たれつの社会構造によってもたらされました。下請けは元請けの言うとおりに、良いものを安く作れば事業が成り立つ時代だったのです。右肩上がりの時代でしたから、元請けの言うとおりにしていれば、仕事は元請けからどんどん受注できる。だから「金型の図面を持って来い」と元請けに言われたら、持っていったのです。今にしてみれば、金型の図面は、中小企業である下請けの貴重な知的財産で、これを無償で要求するのは横暴とみられますが、当時の状況では大目に見ることができたのでしょう。

一方、元請けは運命共同体として下請けを系列化していたので、下請けの技術もノウハウも自分たちが勝手に使えるものだと思い込んでいたのです。公取の実態調査で書かれているような事例は日常茶飯事だったと思います。

―― 20世紀末から21世紀に入って日本の企業社会の系列構造は崩れ、元請けと下請けの関係は激変しました。

円高が進行するたびに大企業は工場を海外にシフトしました。中小企業は大企業の言う通りに仕事をするだけでは生きていけない時代になりました。例えば、自動車業界で生きてきた中小企業も、生き残るためには独自性を発揮して、別の分野に進出しなければならなくなった。そのためには自分たちが持っている技術やノウハウを活用しなければなりません。盗まれてはいけない時代になったのです。

―― でも、知財を侵害する事例が多いということは、元請けである大企業の意識が変わらなかったということでしょうか。

変わった会社もありますが、大方は変わっていないと思います。大企業の部長クラスは中小・ベンチャー企業は「自分たちの下請けだ」とずっと教えられてきた。下請けが持っているものは自分たちのものだと、今も思っている人は多い。その意識は簡単には変わりません。中小企業は時代の変化とともに意識も変えないと生き残れないので必死ですが、多くの大企業の社員の意識は、まだ昔のままなのかもしれません。

―― 今回の特許法の改正で中小・ベンチャー企業の知財保護を強化するため、権利侵害で訴えられた企業に裁判所が立ち入り検査できるようになりました。高額の賠償金を受け取りやすくもなりました。中小・ベンチャー企業にとっては有利になったのでしょうか。

そうは思いません。権利侵害をした企業への立ち入り検査は、中小企業だけに認められたわけではありませんから。大企業、外資系企業でも権利侵害で訴えれば、訴えた企業に立ち入り検査が認められます。うがった見方をすれば、お金があり、裁判を起こす余裕がある企業ほど、訴訟提起によって相手企業に立ち入り検査をして、技術やノウハウを知ることができる法制なのです。裁判が裁判以外の目的で使われるようになることは好ましくない。どのような運用になるのか、注視しなくてはなりませんが、上述のとおり、今回の特許法改正で私は中小企業が大きく有利になるとは思っていません。

―― 知財保護を強化しなければならないのは、大企業であっても中小・ベンチャー企業や大学などと連携するオープンイノベーションの必要性が高まっているという背景がありますね。

オープンイノベーションが必要になったのは、大企業から革新的なイノベーションが生まれにくくなっていることが一因です。大きな組織で新しい取り組みを始めるには、稟議(りんぎ)を通すため、例えば10人の幹部社員から10個の印鑑を集めなければならない。みんなに印鑑を押してもらえる提案は、革新的な提案とはいえず、優等生的な提案となってしまいます。革新的なイノベーションを生み出すには前例を否定することが重要なのですが、それは押印する研究所長ら幹部社員にとっては自らを否定することになりかねない。

また、松下電器産業(現パナソニック)やソニー、ホンダなどの創業経営者のように、革新的な技術を開発し、従業員を雇用し、資金調達のために銀行に頭を下げる、といった本物の経営者が大企業には少なくなっています。それに比べて中小・ベンチャー企業は、社長が創業経営者的に動きます。大企業とはスピード感が違う。社長は物事を即決します。私は大企業よりも小さな組織のほうが新しい技術やノウハウを生み出しやすいと思います。経済産業省なども、中小・ベンチャーのほうがイノベーションを生み出すのではないかという考えに変わってきているから。だからこそ、特許法改正などにも取り組んでいるのでしょう。

―― 中小企業にイノベーションの種はありますか?

中小企業にある切削などの加工技術の技術集積は、他の国にはなく、これが多くのイノベーションを実現するための手段たり得ます。2代目、3代目の中小企業の若手経営者やベンチャー企業の経営者には、自分たちの技術を守り、それを使って新しいビジネスモデルをつくろうとしている人たちが出始めています。

今後のイノベーションは、ただ単に技術を持っているからできる、というものでありません。今、考えなくてはならないのは、世の中で解決しなければならない社会課題は何かということで、それをどう解決するのか、その結果どのような付加価値を提供できるのか、ということです。技術ありきではなくて、解決すべき社会課題ありきなのです。社会課題を解決するための技術、ノウハウは何かと考えることが重要です。

―― その技術やノウハウが自社内にあればいいですが、なければオープンイノベーションで他社と連携し、必要な知財を獲得するということですね。

そうです。ビジネスプロデューサーとして動ける経営者が必要です。中小・ベンチャー企業は元請けから指示されたものをその通りにつくるだけではなく、自分たちで新しいビジネスをつくる能力を求められています。そのビジネスの競争力を維持するためには、まさに知財戦略が大切なのです。

―― どういうことですか。

まずは社会課題を解決するためのビジネスプランを考え、それに必要な技術やノウハウを仕分けします。特許として守るのか、ノウハウとしてブラックボックスにして守るのかを決めます。技術を特許として守るにしても、特許の網を広げつつ、網の目を緻密(ちみつ)にして、効率よく守る必要があります。特許の網が小さければ網からこぼれてしまうし、網の目が大きければすり抜けられてしまう。これでは技術が守れません。効率的に特許出願をしなければ時間も人手もお金もかかります。特許をたくさん出せばいいわけではありません。中小企業にとっては効率的な知財戦略がなくてはなりません。

―― 大企業だけでなく中小・ベンチャー企業とも連携するオープンイノベーションに取り組むには、守るべき知財を効率的に守っていないと怖いですね。

中小企業の場合、ビジネスをグローバルに広げていくには、自社だけでは難しい。大企業の力を借りなければなりません。お金も必要かもしれません。大企業が自分たちだけではイノベーションを起こせないのであれば、中小・ベンチャー企業や大学と連携するのは当然です。ところが「なぜ下請けがやっていることを手助けしなければいけないのか」という人が、まだまだ大企業の中にはいます。だから公取の実態調査のような事例が出てくるのです。技術を理解し、特許戦略を立てるとともに、ビジネスの観点から契約を結び、情報管理に関してアドバイスする、私たちのような専門家に知財戦略を任せることが大切です。

―― 知財戦略専門の弁護士は、たくさんいらっしゃるのですか。

あまり多くはありません。特に地方には極めて少ないと思います。そのため、知財戦略をアドバイスできる専門家の育成のためのプロジェクトに、昨年度は関東経済産業局が、今年度からは特許庁が取り組んでいます。そのプロジェクトには私も協力しています。私にとってはライバルを増やすことになります(笑)。しかし、日本にとっては必要なことです。

―― そもそも人の知財を盗み取ろうとする企業をなくさなくてならないですね。

知財に対してマナーの悪い企業は、他社から手を組んでもらえなくなるでしょう。中小・ベンチャー企業はマナーの悪い企業には近づきたくありません。もしも不正に知財を盗まれたならば、小さな組織は致命的な損害を被るからです。これは何を意味しているのかというと、マナーの悪い企業はどの会社とも連携できないため、自らイノベーションを作り出さないと成長の道がないということになります。この仮説が正しいのかどうかを確かめるための壮大な社会実験が今、始まっているのではないかと思っています。

もちろんマナーの悪い企業ばかりではありません。2018年度の知財功労賞でKDDIが「経済産業大臣賞」を受賞しました。「ベンチャー・ファースト」の考えのもとで、ベンチャーの知財活動を支援してきたことが評価されました。科学技術分野の人材育成、創業などに関する企画、研究をしているリバネス(本社・東京都)が進めるベンチャー企業の発掘・育成には、日本ユニシスやロート製薬、三井化学など9社が支援中です。こうした動きが広まれば、マナーの悪い企業は大企業でも淘汰(とうた)され、それぞれが持つ知財を守りながらお互いがプラスになっていく社会に日本も変わっていくと期待しています。

鮫島 正洋(さめじま・まさひろ)

1963年、横浜市生まれ。東京工業大学を85年に卒業し、藤倉電線(現フジクラ)に入社。91年、弁理士試験合格。92年、外資系大手IT企業に入り、知的財産管理に従事。96年、司法試験に合格し、99年から弁護士。2004年に内田・鮫島法律事務所を設立し、代表パートナー。中小企業などの知財戦略支援の先駆者。

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