現在、我が国の経済状況は比較的堅調とされている。だが、少子高齢化による空前の人手不足をはじめ、収益確保や事業継承など、中小企業の経営環境は厳しさを増す一方だ。また、米中貿易摩擦の激化は日本経済全体への影響が懸念され、中小企業にとっても見過ごせないリスクとなる。新しく訪れた令和の時代に中小企業が生き残り、さらに力強く成長し続けていくために、どのような手を打つべきなのだろうか。Business Insider Japan統括編集長・浜田敬子氏が3人の識者にそのヒントを聞いた。
【第1回】は「#1時間勤務」のキーワードで働き方の新しいスタイルを発信して話題となった(株)日本HPの甲斐博一氏との対話をお届けする。
1966年山口県生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業後、朝日新聞社に入社。2014年に女性初のAERA編集長に就任。その後、総合プロデュース室プロデューサーを経て、2017年に退社後、ビジネスニュースサイト「Business Insider Japan」統括編集長に就任。
20年間に渡り、IT業界を中心にB2B、B2Cの各種マーケティングを担当。途中、e-Commerceビジネスの立ち上げに関わったことを契機にデジタル領域の活動も増え、さまざまな知見を得る。近年は伝統的な手法と最新テクノロジーを効果的に組み合わせた統合型マーケティングを志向。動画、顧客属性データ、活動データなどを用いたマーケティング活動を実践している。
浜田氏:人手不足が声高に叫ばれるようになっています。特に中小企業でその影響は深刻です。若い優秀な人材を確保するために、大企業よりも魅力的な労働環境づくりが重要になっています。
甲斐氏:20年前の中小企業経営者の平均年齢は40代でした。今は60代なのですが、これは20年間経営者が変わっておらず、若い経営者たちも全体からみたらあまり生まれていないことを意味しています。もちろん、旧態依然とした経営が今の時代にフィットしているわけではないため、このことをもっと真剣に考えなければなりません。
浜田氏:過去の成功体験に囚われて、業務改革や労働環境の改善が進んでいない企業が多いということでしょうか。
甲斐氏:年代の変化だけでそれを結論づけることは危険ではありますが、ビジネス存続や事業継承に強い危機感を持っている経営トップは多いという調査報告もあるため、抜本的に経営の変革が行われた例は少ないと考えてもあながち間違ってはいないと思います。また、変革したくても何をどう変えればいいのかわからないという経営者も多いのではないでしょうか。
浜田氏:経営トップとともに成功を体験してきた役員・幹部クラスの人たちが改革の阻害要因になっているという話もよく聞きます。
甲斐氏:そうですね。成功を共有してきた人たちが経営者を取り巻いていることは多いです。また乱暴な考え方かもしれませんが、過去の成功の組み合わせから新しいやり方が生まれる可能性は低いようにも思います。特にテクノロジーは変革を成し遂げ、新しい体質に変えていくためにあらゆる局面で活躍しますが、それを使いこなせる人材も少ない。どの業界にも当てはまる事実として、欲しい人材を惹きつける、魅力ある労働環境を実現することは中小企業にとって大きなテーマです。そこにもテクノロジーが貢献できる部分は多いと考えています。
浜田氏:テクノロジーで解決できることはたくさんあるということですが、どんなことが一番のキーになるのでしょう。
甲斐氏:一番わかりやすいのは働き方改革です。よく「働き方を変えること」が働き方改革とされていますが、その本質は「働き方の多様性を認め、選択を自由にすること」だと思います。
浜田氏:その文脈でいえば、多様性の中でシンボリックに取り上げられるのが、時間と空間から自由になるということです。
甲斐氏:まずはそこですね。さらに重要なのは、それを会社が決めるのではなく、社員が自ら選び、決められるということです。「あなたがどう働きたいのか」という選択権を与えれば、働くという行為がより主体的なものになると思います。この時点で「働く」という概念さえも変わる人が多くなると考えています。他人のために働くのではなく「自分のために」となるわけですから。
浜田氏:「Business Insider Japan」の編集部は10数名のチームですが、ワーキングマザーや遠距離通勤の人も多く、通勤時間がもったいないということで、以前は認めていなかったリモートワークを解禁しました。すると、一人ひとりが主体的に成果を出すことに集中できるようになりました。働き方を主体的に選ぶ、多様な働き方ができる、それが結果的には働き方改革になるということですが、そこにテクノロジーはどんな貢献ができるのでしょう。
甲斐氏:ひとつはデータの安全性確保の観点です。時間と場所の制約から自由になり、どこでも仕事ができるようにするためには、データを安全に持ち歩く必要があります。多くの企業がリモートワークを禁じている理由は、企業ネットワークの外ではセキュリティが確保できなかったからです。しかし、最新のテクノロジーではエンドポイント、つまりPCなどのデバイスでも確かな安全が担保できるようになっています。
もうひとつはコラボレーション。リモート会議などでストレスなくコミュニケーションするためには、音や画像がクリアであることが重要ですし、ネットワークアクセスもスムーズであることが大事です。従来はデバイスをネットワークにつなげるために20%もの時間的ロスが発生していたというデータがありますが、最新のPCではそれが大幅に低減されています。さらに付け加えるなら、カフェなど、外で仕事をするときに、かっこいいPCなのかどうかも意外に重要なポイントだと思います。
浜田氏:PCは人に近い一番デバイスですから、自分が気に入ったもの、ダサいものよりかっこいいもののほうがいいというのは大いに賛成です。
浜田氏:時間と場所から自由になって働くということで言えば、「Business Insider Japan」では五島列島で仕事をするという実証実験をしています。あえて東京から一番遠い場所で、テクノロジーを活用してどれくらいストレスなく働けるのかという試みです。編集部だけでなく、読者の人にも参加を呼びかけたところ、定員の5倍もの応募がありました。時間や場所の制約から自由に働きたいという人は確実に増えていると実感しました。
甲斐氏:それはすごいですね。ビジネスでは1を10に拡大させる人材と、0から1を生み出すクリエイティブな人材は資質が異なるといわれますが、後者は固定的な環境では生まれにくいのかもしれません。しかも日本はそこが弱いと言われています。
浜田氏:時間と場所から自由になるという意味では、日本HPが一昨年に展開した「#1時間勤務」というキャンペーンも象徴的だと思っていました。その仕掛け人は甲斐さんだったということですが。
甲斐氏:はい。女性の意識として、仕事はもちろんがんばりたいけれど働く時間は自由にしたいという思いと、仲間や後輩の期待に応えたいという2つの指向があることがわかり、そこからストーリーを組み立てました。娘の誕生日に家族でピクニックに出かけたけれど、どうしてもその日のうちにチェックしなければならない後輩の仕事があるという設定で、家族の大事な日だからと仕事をシャットアウトしてしまうのではなく、出先でちょっとだけ信頼してくれる後輩のために仕事をする。それだけで後輩の仕事はうまく回る、でもそれはその日じゃなきゃいけない。そして子供もそういうスマートなお母さんをかっこいいと思っている、そんなCMを作りました。家具・雑貨のFrancfranc社とのコラボレーションで、今は実現していないけれど将来的にこういう働き方ができたらいいねと、お互いに協議して展開したキャンペーンでした。
浜田氏:これはワーキングマザーが対象になっていますが、たとえば介護の問題では男性社員も対象に入ってくるような働き方ですよね。1時間は無理としても3時間勤務ならより現実味はあるし、介護離職を防ぐことにつながるかもしれません。
甲斐氏:個人的には「ワーク・ライフ・バランス」という言葉に違和感があります。ワークとライフを切り離してしまい、労働時間は短くプライベートは長くしなければならないという印象があって、そんなにうまく分けられないと思うのです。このキャンペーンではもっともキャッチーということで「#1時間勤務」という言葉を選びましたが、根底にあるのは自由な働き方、生き方の提案です。
浜田氏:今の若い人は自分の人生を主体的に生きたいと考える人が増えていますから、中小企業が自由な働き方を認めるのは、優秀な若い人材を獲得する第一歩になりうると思います。それを実践し、優れた人材を採用しているベンチャー企業の実例もたくさんあります。
浜田氏:ところで、甲斐さんのようなハードウェアベンダーのマーケターが経営コンサル的な視点で働き方の問題に取り組まれていることがとても興味深いです。
甲斐氏:今やPCはコモディティ化していると言われ、ともすれば価格で選ばれてしまいがちです。でもPCにはまだまだ大きな可能性があります。実際に、セキュリティやコラボレーションの課題を解消するテクノロジーを備えたPCを選ぶだけで、働き方を変える入口をつくることができます。大企業のように大きな投資が難しい中小企業にこそ、そのことを知ってほしいのです。
浜田氏:中小企業がそんなPCを選び、自らを変革して元気になっていけば、日本全体を元気にすることにもつながりますね。
甲斐氏:そのとおりです。日本を元気にするためにも、PCの可能性を訴えていくことは私の使命だと信じています。
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