生成発展 テクノロジーで変革する中小企業の未来

荻窪の鮮魚店が挑むICT革命

おいしいレストランが世界で最も多いといわれる東京で「魚はやっぱり東京!」と言わせたい――首都圏を中心に30店舗を展開する「東信水産」の4代目、織茂信尋(おりも・のぶつね)さんは、そう語る。創業70年(設立67年)の生鮮魚介類の小売り販売会社の社是は「変化・変革を中心とする『創造集団』」。お客様が魚をおいしく食べることには頑固にこだわるが、そのための店舗経営や流通の改革に禁じ手はない。各店舗にタブレット端末を導入し、作業効率化や働き方の改善などに実績を上げ、「魚を楽しむ生活」を提案している。

文:ライター 内山まり
photo:伊原正浩

生鮮魚介類を売る東信水産の店のバックヤードはペーパーレスが実現している。「Fish Order(フィッシュオーダー)」と「Fish Schedule(フィッシュスケジュール)」から成る生鮮魚介類の小売りに特化した管理システム「Fishシリーズ」を導入しているからだ。

「Fish Order」は同社が展開する首都圏を中心とした30店舗各店が使う受発注・損益管理の複合システム。タブレット端末を使って簡単に作業ができる。タブレット端末に入力された各店舗の情報から、本社はリアルタイムで各地域のお客様のニーズを即座に知ることができる。もう一方の「Fish Schedule」は労務管理システム。生鮮魚介類の小売業は競りが始まる早朝3時ごろから、店じまいの午後10時ごろまで様々な従業員が働く職場である。残業代や早朝手当などの複雑な変動人件費が発生し、実態が把握しにくかったが、新システムの導入で実態が把握しやすくなった。

東信水産は1980年代、水産業界としては比較的早くPCや基幹系システムを導入した。しかし、ブラッシュアップされてこなかった。商社で働いていた織茂信尋さんは、家業を継ぐために2011年、東信水産へ入社し、営業企画部(現商品企画部)に配属されると、すぐに問題点が見えてきた。

東信水産の4代目社長、織茂信尋さん/photo・松嶋愛

――タブレット端末導入で伝票は不要

「各店舗の売り上げ報告が3日間くらい経たないと上がってこないのです。これではスピード感ある販売戦略は打てません。何かがおかしいと強く感じたのです」

そのころは各店舗から売り上げを書いた伝票が本社にファクスで送られ、それを本社で入力していた。送付の締め切り時間もあってないようなものだった。作業効率は悪く、システムの改善が必要だった。

各店舗では3枚つづりの紙の伝票を使っていた。1枚は本社、1枚は仕入れ先、1枚は店の控えの3枚つづり。各店長は納品された商品をいちいち手書きでチェックする必要があった。

1980年代に導入された手順だったが、時代の進化と共にブラッシュアップされずに様々な不都合が起こっていたのだ。「同族経営のリスクとして、『経営層が老けると会社が老ける』と言われますが、まさにそういった事態でした」

織茂さんはシステムの見直しに着手した。受発注や売り上げデータをサーバーで管理しようとしたのが、「Fish Order」だった。スタッフが簡単に商品を発注できるアプリケーションで、タブレット端末で商品を確認しながら入力し、発注できる。伝票に手書きする必要はない。クリックすればデータはサーバーにアップされ、即座に本社に伝わる。

魚介類の小売り販売の仕事は、魚を仕入れ、加工し、売ることだ。毎日の売上高から仕入れ高を差し引けば、その日の売上総利益が出る。人件費には大きな変動はない。各店舗の日々の売上高と仕入高のデータがあれば、各店舗の損益を日々把握できる。

「Fish Order」を使えば、魚の産地や加工地の情報も一目瞭然。店舗のタブレット端末をタップして注文を入れると、オンラインでつながった問屋から商品が発送される。あるいは毎朝市場に出向く同社のスタッフがオーダーを見て、買い付ける。伝票への記入もファクスする必要もなくなった。全社的な業績の把握もリアルタイムでできるようになった。

JR中央線荻窪駅北口にある専門店街「荻窪タウンセブン」の地下1階にある東信水産の荻窪総本店。戦後の食糧難の中で新鮮な魚介を届けたいと1949年、この地で創業した=東京都杉並区上荻1丁目

―― 早朝の仕入れもITで労務管理

次に着手したのは労務管理システム「Fish Schedule」。水産業界の労働時間は長い。東信水産には加工場(東信館)もあり、ほぼ24時間、365日、誰かが働いているという状況だ。ところが従来の労務管理システムは、長時間で多岐にわたる分業業務が存在する魚介類の小売りのためにはつくられていない。大変な作業ではあったが、自身の業態に合わせた労務管理システムをつくりあげた。勤務シフト表や残業申請などの一元管理が可能になり、残業代や早朝手当などの変動人件費も即座に把握できるようになった。

今年4月からは働き方改革法が施行された。織茂さんは言う。「『Fish Schedule』は働き方改革のコンセプトにも重なりました。『Fish Order』は店長たちにのしかかっていた作業を軽減させることができた。店長のほか店員らの仕事を効率化させることで、魚屋さんとしての高いスキルを、本当に必要な場面に集中して発揮できるようになったのではないかと思います」

店頭で使う端末をタブレットに替えたことで、衛生管理面の効能もあったようだ。事務所ならばともかく、鮮魚店のぬれている店内にPCを置くことを、織茂さんは「必ずしも衛生的ではない」と考えている。「PCは熱源となり、害虫が卵を産みつけることがある。タイムカードの打刻機も危ない」。タブレット端末であれば、そうした防虫・防そ効果も期待できる。

またタブレット端末にしたことで、ペーパーレス化が実現した。従来は伝票をファクスでやり取りしていた。ファクス用紙を長時間放置していると、紙がもろくなり、異物混入の原因になるかもしれない。タブレット端末による作業は、店舗の衛生管理向上にも役立つものだった。これらの改革によって2016年、直営店である荻窪総本店は、テナント型生鮮魚介類専門店としては初めて、東京都食品衛生自主管理認証を取得した。

魚介類の発注・仕入れをタブレット端末で行うようになり、店頭から伝票が消えた

―― 職人肌の店長とひざ詰めで議論

織茂さんは地元、東京・荻窪の中学を卒業すると、米国カリフォルニア州サンディエゴ市の高校に留学した。3代目社長である父の勧めだった。帰国すると、東京工科大学に進学。有機化学を学び、大学院修士課程を修了。総合商社に勤務し、水産流通の部署に配属された。シシャモやアジ、サバ、マグロなどの担当を通し、魚の流通を世界規模で学んだ。その後、2011年に東信水産へ入社した。

「まず『小売業って何だろう?』からのスタートでした。当時、百貨店などの服飾関係では販売手法や価格を決定するマーチャンダイジング(MD)がありましたが、生鮮魚介類の小売り販売では科学的に商売をするMDはメジャーではありませんでした」。まずは店長らと商売の在り方について話し合う必要があった。

ICTの導入やMDなど、旧態依然とした職場に新しい風を吹き込もうとした。だが、入社したての織茂さんの言うことを、職人肌の店長たちが初めから理解してもらえるはずもない。それでも、「突き詰めて物事を考えると、お互いに同じところにたどり着きます」。例えば、お客様に満足してもらい、お金をちょうだいし、そこから私たちの給料をもらうという原理原則では一致できる。次に何ができるかを、みんなで議論する。お客様を満足させる方法論では意見が違うこともあるが、大切なのは議論することだった。

「みんなでしっかり話し合う風土が企業には必要だと考えています。上からドンと言われるだけだと、その時はよくても、10年、20年経てば、その“ドン”はどんどん老いていきますから、やっぱりディスカッションをしなければいけません」

ディスカッションは会社を変えるための第一歩だった。「社長の息子だ」とふんぞり返るのは簡単だが、それでは人はついてこない。会社も動かない。ひざを突き合わせてディスカッションしないことには、社員の中にリーダーシップを持つ人材も現れない。「それぞれの職場にリーダーたちがいてくれるからこそ、会社は成り立つ。突き詰めれば、店長たちも僕も、思いは同じ。『お客様に満足していただきたい』ということだけです。そこが一致していれば、方法論や考え方は、それぞれ違ってもいいんじゃないでしょうか」

新しい経営手法を入れようとしたことで社内に議論の波が立ち、話し合っていけば次第に議論の波は収斂するという経験は貴重だった。そういった風土改革があってこそ、ICTの効果が生まれるのかもしれない。

3代目社長である父、織茂章則さん(現代表取締役会長)の発言も経営の羅針盤となっている。

「とくに父がこだわっていたのは、『食えねぇものを売るな』。つまり衛生管理の徹底です。それから働いてくれる人に対する感謝の気持ちです。なかなかまっとうなことを言っています」

高校時代の米国留学を勧めた父には先見の明があった。

「水産業者が見なければならないのは、日本の海だけじゃなくて世界の海です。魚屋のビジネスは世界の海を中心に物事を考えなければいけません。高校時代から外に出たことで培われたフットワークの軽さはありがたい。そのように育ててくれた両親を尊敬します」

お客様を喜ばせたい、お客様に価値を伝えたい、という思いは、過去も今も変わらないだろう。織茂さんは思う。「そこで働いてきた人たちを信じ、その人たちの意見をしっかり聞き、ちゃんと話し合っていれば、中身はいくらでも変えればいい」

魚介のセレクトショップとして、お客様へ魚を楽しむ生活を提案する

―― 「東京は魚が最高!」と言いたい

次々に改革を実践してきた織茂さんだが、その目はさらに先を見つめている。「これから新しく登場するICTを使いこなせたら、もっと面白くなるはず」。たとえば5Gの通信技術。海洋環境や物流、店舗状況をもっとグラフィカルに「見える化」すれば、いろんなアイデアが生まれるだろう。

「僕たちは、包丁一本でお客様のために魚をさばくのが仕事です。これまで何万回も鯛(たい)を切った経験をデータにして、鯛の切り方で何がベストなのかを統計的にグラフィカルに見られるようになるかもしれない。そうすればもっとおいしい調理方法をお客様に提供できるのではないでしょうか」

今後普及が進む自動運転技術は、物流に大きな影響を与えるかもしれない。「東京23区内の物流をどう低コストで構築したらいいのか。それを考えている人たちにどう投資するのか。そうした投資ビジネスも考えられる」

だが、商売のやり方が変わっても、大事なものは忘れてはいけない。「弊社にとっていちばん大切なことは、お客様を魚で喜ばせること。お客様の生活の質を魚によって向上させることが究極の目標です」。この目標だけは揺るがせてはいけないと考えている。

ガジェットの改良を重ね東京の食文化は今や世界に誇る水準となった。ロンドン、パリ、ニューヨークと並ぶ大都市・東京で「最先端の魚屋」というブランディングをしっかり固めたい。

「東京の食の文化として何が最高?」と聞かれたら、「東京は魚が最高だ!」と言えるようになることが、織茂さんの夢。安全でおいしい鮮魚をいつでも食べられる大都市は、世界を見渡しても「東京だけだと思っている」。その東京で「お客様のためにもっとも価値を追求している魚屋」というブランドを確立したいのだという。そのためにも、様々な最先端ツールを駆使する鮮魚店――それが東信水産だ。

電子レンジでチンすればすぐに食べられる魚総菜もいろいろ。そのまま食卓にのせることを考えて開発されたカラフルなトレー「TOSHIN PALATE」を使用している

東信水産株式会社
本社:東京都杉並区上荻1-15-2 丸三ビル3階
電話:03-3391-2226
資本金:5,000万円
創業:1949年
事業内容:生鮮魚介類の小売り販売
関連サイト:東信水産HP

代表取締役社長:
織茂 信尋(おりも・のぶつね)

1984年生まれ。東京工科大学バイオニクス学部(現応用生物学部)で有機化学を学び、同大学院修了。総合商社勤務を経て、2011年に東信水産入社。営業企画部(現商品企画部)を経て、2017年1月、代表取締役社長に就任。現在、直営店も含めて首都圏を中心に30店舗を展開。スーパーや百貨店、新しい文化の発信地にも積極的に進出する。2013年から実践女子大学で水産消費概論、フードビジネス論の講師。趣味はダイビングで、PADIインストラクターの資格を持つ。

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