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「斜陽」業界の急先鋒、ネットでファン増
三兄弟全員がアトツギ「萩の湯」流銭湯経営

JR鶯谷駅から徒歩3分の好立地、巨大な複合型マンションの1階から4階までを占めるのが、愛好家たちから「楽園」と評される銭湯『ひだまりの泉 萩の湯』。現在1日約1,000人の入浴客が訪れ、広い浴場や露天風呂、サウナなどの設備、充実したフードがネットを中心に度々話題になっている。

そんな萩の湯のオーナーは長沼雄三さん。長沼さんはもともと、地域に密着した営業で人気を博す上野の銭湯『寿湯』を実家から引き継いで経営。現在、兄が両親と共に向島の銭湯『薬師湯』を、弟が長沼さんに代わり『寿湯』をそれぞれ経営しており、三兄弟が家業を継ぐ「アトツギ」一家でもある。

「経営は右肩上がり」(長沼さん)だとする一方、2005年に1,025軒あった都内の公衆浴場の数は2017年に562軒まで落ち込み、業界全体としては厳しい状況だ。この苦境にあって、順調に事業を成長させている長沼さんに、入浴客を集める経営手法、そして兄弟全員がアトツギとなった経緯をうかがった。

制作:朝日新聞社デジタルスタジオ
撮影:飯本貴子

―― 年長の番頭と対立、人が去ってわかった「マニュアル化」の必要性

本来、入浴客の目に触れることはない、開店前の銭湯。薄暗い廊下をスタッフが慌ただしく行き来し、掃除が済んだ浴場にはテキパキとした手際で風呂おけとイスが配置されていく。みな一様にTシャツやハーフパンツのラフな姿で、肌にはうっすらと汗がにじむ。長沼さんは施設内を見回り、年配、若手、外国人従業員など、多様な人材に声をかけていた。

長沼さんはオーナーの立場。運営は店長に一任していて、店舗に来ない日も多い。「銭湯経営」という言葉から連想される属人的な経営スタイルは、意識的に避けているそうだ。

「僕が寿湯を継いだのが2001年、二十代前半の頃でした。当初は昔から系列の銭湯にいる50歳くらいの番頭さん3人とやっていたのですが、意見が合わなかったんですね。年の差がネックになり、互いに気を使ってしまうところもありました。それで、最終的には3人とも辞めてしまって。

店が回らないから、急いで社員やアルバイトをハローワークや新聞広告で募集して、なんとか新体制にシフトしました。人員がカツカツだったので、僕が休んでも回るような仕組みにせざるを得なかった、というのが正直なところです。このときに作ったマニュアルは、弟が寿湯を継いだときに一緒に引き継ぎ、重宝されたようです」

―― 天国の祖父「してやったり」? 三兄弟はなぜ家業を継いだのか

長沼さんが銭湯経営を学んだのは、主に両親から。銭湯業界において経営を引き継ぐときは、一般的に「見て学ぶ」スタイルだそう。それをマニュアル化するという発想には、長沼さんの経歴が影響している。大学時代はチェーンのファストフード店でアルバイトをして、誰でも同じ品質のサービスを提供できるようにマニュアル化が徹底された業務フローを体験した。卒業後は一度、大手ショッピングセンターに就職。「売り場で2年間ジーパンを売っていました」と振り返るこの時期に、どう顧客をもてなすか、どう商品を購入してもらうか、といったサービス業の基本を身につけたという。

しかし、長沼さんが銭湯を継ぐのかどうかは、ギリギリまで迷っていた。長沼さんがというより、両親がである。約20年前、銭湯の数は減り続け、自他ともに認める「斜陽」産業だったためだ。長沼さんに継がせたいというのは、むしろ先々代の経営者に当たる祖父・三郎さんの意向だった。

「あの頃は僕くらいの年齢、20代で継ぐという人はどこに行っても見当たらなかった。両親も心配していたんだと思います。結果的に三兄弟全員が家業を継ぎましたが、最初に『継がないか』と打診されたのは実は僕。さすがに社会人2年目の、このタイミングだとは思っていなくて、驚きました。ただ、僕もずっと『継ぐのか、継がないのか』でフワフワしていたので、だったらこの機会にと、思い切って飛び込んでみることにしたんです。

当時、健在だった祖父に『新しい時代に風呂屋を残したい』という強い想いがあったようです。兄弟の中でも僕はよく両親の意見に正面から反抗していて生意気だったので、目をつけられたのかもしれません(苦笑)。その直後、調理の仕事をしていた兄が、スタッフの急病もあって代わりに薬師湯に入りました。さらにその後、大学を卒業した弟も薬師湯で働きだしたので、天国の祖父はしてやったりという感じでしょうね」

―― 右肩上がりの数字を出す、経営の「ジャブ」と「ストレート」

こうして長沼さんが引き継いだ寿湯は、細やかなサービスで知られる。例えば無料(15分間)のインターネット接続や携帯電話の充電、電子レンジ、自転車の空気入れ、サドル拭きの使用など……。このように行き届いた配慮はもちろん集客のための手法ではあるが、かねてから「銭湯経営には工夫の余地がある」と考え続けた末のアイディアでもある。

「小さい頃から『自分で銭湯を経営してみたい』という想いがあったんです。大学時代には経営者になりたくて、文学部だったのに経営の本ばかり読み漁っていました。もちろん『売り上げが落ちているな』、『注目されていないな』とは感じていたけれど、もっと工夫できるのでは、とも思っていて。

例えば無料のリンスインシャンプーとボディソープ。今では普通ですけど、うちでは10年前からやっています。銭湯経営の基本は『接客』と『清掃』ですが、このうち『接客』の方ではこうした小さい工夫を積み重ねています。これがボクシングのジャブのように効いてくるんですよ」

そして、満を持して「ストレート」を打つのが長沼流の経営術だ。2005年には浴場を大改装し、水風呂を新設した。2009年には重油価格が高騰したことから、燃料を転換。余った保管場所のスペースを広い露天風呂に作り直した。寿湯を継承した2001年時点で平均190人/日だった入浴客は、細やかなサービスの効果で以降も堅調に増加し、2005年の改装で一気に300人を超えた。2009年の改装では400人に。その後もまた伸ばし続け、2017年に600人を超えたという。

「来客数が増えれば、それに伴って口コミも増えます。今ではネットも普及していますから、人が人を呼ぶ良いサイクルが生まれているところです」

―― 「メシが喉を通らない」経営の危機…救世主は人気ウェブライター

しかし、2017年に開店した萩の湯は、オープン当初「ほとんどお客さんが来なかった」と長沼さんは笑う。

「開店から3カ月が経っても、今の半分くらいしか来ない。出店にあたりかなり大きな額の借り入れをしていたので、とてもそれを返せないような売り上げで、冗談ではなくメシが喉を通らなかったですね。体重がもともと75kgだったんですけど、その時期に一気に60kg台まで体重が落ちました(笑)」

萩の湯の建て直しが長沼家で話し合われたのは、2013年の秋頃。老朽化が理由だった。このとき、長沼さんの両親はワンフロアを銭湯にして、2階から上をマンションにする堅実な計画を想定していた。現在のように1階から4階までをすべて銭湯にする計画は、長沼さんがかねてから温めていたものだ。そのきっかけは長沼さんの大学時代、スーパー銭湯、つまりワンフロアを丸々浴場にするような大規模施設が登場したこと。興味を持って訪れてみたところ、このような新しい形であれば「銭湯も残っていけるのでは」と感じたという。以来、銭湯価格(萩の湯は460円)で入浴できるスーパー銭湯のような銭湯を実現したいと考えていたそうだ。立地的に経営は十分に成立すると見込んだが、入浴客はなかなか増えなかった。

「そんな時期に、ウェブを中心に人気のライターであるヨッピーさんから取材依頼があったんです。ヨッピーさんは『銭湯神』を名乗るほど銭湯が好きな方で、銭湯ファンの間でも支持されるいわばインフルエンサーでした。『ぜひ』とお伝えして記事がウェブで公開されると、それがTwitterのトレンドに入って、SNSで1万回くらい拡散されたんです。そこから一気にお客さんが30%くらい増えて、以降もコンスタントに来てもらえるようになりました。

寿湯では時々改装のような大きな投資をして、階段を上るようにお客さんが増えていましたが、萩の湯では先にまとまって大きな投資をしておいて、それが後で一気に発見されたというところでしょうか。もともと寿湯でもネットの口コミの力は大きかったですが、あらためて、ネットが人を動かすことを感じた経験です。本当にホッとして、体重も元に戻ってしまいましたね(笑)」

―― それでも「銭湯を経営する」理由 ― 親の背中が語ったこと

このように簡単ではない銭湯の経営。それでも長沼さんら三兄弟を惹きつける魅力とは、どんなものなのだろうか。それぞれ、家業を継いだ経緯は異なるものの、共通しているのは「銭湯経営をする両親の背中を近くで見ていたこと」と長沼さん。

「銭湯って、お風呂に入ることだけが目的じゃなくて、来て、集まった人同士でネットワークが広がって、より楽しい時間になる。それを守ってきた先代のことは、やっぱり尊敬しています。こういう文化を、僕も次の世代に残していきたいですね。」

とはいえ、全体として銭湯業界は「未だに厳しい状況にある」(長沼さん)。しかし、決して悲観的ではない。

「『テルマエ・ロマエ』(※入浴の文化があった古代ローマ人が風呂を起点に現代の日本にタイムスリップする人気作品)じゃないですけど、お風呂に入るのって日本人だけじゃなくて、世界にも好きな人がいるんですよね。だからこそ入浴の文化はずっと残ってきたし、これからも残っていくと思います。そのためには、気軽に入れる銭湯が身近にあることが大事なのかなと。銭湯を残すための試みを、これからも続けていこうと思います」

一方で、伝統ある業界で新しい試みをしようとすることに、抵抗はないのだろうか。「昔はあったんですけど、最近はそういう人もいなくなってきた」と長沼さん。「今は業界全体に危機感があって、生き残るために協力し合う仲間も増えてきた。ピンチだからこそ、変えていこうという機運が高まっている」そうだ。

「ただし」とここで長沼さんは断りを入れる。「結束が強まると、気を使いすぎて競争意識が下がってしまうという弊害もありますから、気をつけないといけないですね」――長沼さんは取材の最後まで、徹底して銭湯の「経営者」だった。

アトツギのポイント

1. 口伝のマニュアル化により、突然の退職などのアクシデントに強い組織に。サービスの品質も定まり、横展開がしやすくなった。
2. 両親の背中を見て育ち、銭湯経営に興味を持つ。悩む周囲や本人のスイッチを、強い想いのある祖父が押した。
3. 入浴客を集めるポイントは「ジャブ(細やかなサービス)」と「ストレート(改装など大きな投資)」。経営は右肩上がりを維持。
4. ネットの口コミで人が人を呼ぶサイクルが成立。萩の湯開店直後の経営危機を救ったのは「銭湯神」を名乗るネットで人気のライター。

長沼 雄三(ながぬま・ゆうぞう)

『ひだまりの湯 萩の湯』『寿湯』を経営する幸和コーポレーション株式会社代表取締役。1976年、東京都生まれ。2001年に寿湯を実家から引き継ぎ、オーナーに。細やかなサービスと二度の大改装を経て、経営を安定化。2017年に寿湯を弟の亮三さんに引き継ぎ、自身は萩の湯を開業。同店はネットの口コミなどをきっかけに、愛好家たちから「楽園」と評される。

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