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甲州屋呉服店専務取締役の志村郷親さん
甲州屋呉服店専務取締役の志村郷親さん

タンスに眠る着物をお金に
老舗呉服、レンタルに活路

JR新宿駅から四ツ谷駅の間の新宿通りに15、6店ほどの呉服屋が店を構えていた時代があった。1970年前後のことである。それが今は創業96年の甲州屋呉服店だけ。日常生活で着物離れが定着した厳しい時代を生き残るには新しいビジネスが必要だった。かつて販売した商品を顧客から預かり、それをレンタルする新事業を始めたのだ。その鍵はICタグを活用した商品と顧客の管理システムだった。

文:ライター 伊藤暢生(元朝日新聞記者)
photo:松嶋愛

間口約3メートル、奥行き10メートルほどの細長い店。3代目の志村賢三社長と妻の明美さん、長男で専務の郷親(くにちか)さんの3人でのれんを守っている。店内の畳敷きの小上がりを幅50センチほどのカウンターで仕切っている。その中にこぢんまり収まっているのはパソコン、ICタグやバーコードの読み取り器などのデジタル機器。昔は、その小上がりに反物を並べて客と応対した。時代劇に登場する「越後屋」の帳場に、カウンターとデジタル機器を置いたと思えばいい。

―― 売った着物を預かりレンタルに

レンタルする商品は以前、客に売った和装用品。着る機会がなくなったり、保管場所に困ったりしていた顧客から約2千点以上の着物や帯、バッグ、履物などを預かり、保管している。

結婚披露宴、卒業の謝恩会や同窓会、パーティー等々、着物を着ていく場所と装いの希望を聞き、それにふさわしい着物や帯を薦め、バッグと履物を選び、着付けをする。

返却に少し余裕を持たせる2泊3日の「えにしレンタルプラン」の場合、振り袖だとバッグ、草履、着付け料を含めた料金が3万4800円から6万4800円。午前10時~午後7時の1日料金は2万4800円から4万6800円。留め袖・訪問着は、買えば帯と合わせて100万円台になるが、このレンタルプランならば1万8800円から3万3800円で楽しめる。

そもそも普通に在庫を仕入れるレンタルの場合、いい品物をこの値段では貸せないという。在庫を抱えるリスクがあるからだ。

レンタル商品を預かっている客には、レンタル料の10%を着物、帯などそれぞれに案分して還元する。簞笥(たんす)の肥やしがお金になると喜ばれている。

レンタル件数は月平均30~40件で漸増。客の半数ほどはリピーターになり、店の売り上げもどん底だった2011年に比べ4割増しにまで息を吹き返した。レンタルが売り上げに占める割合は10%から15%になっている。

―― 着物市場は最盛期の6分の1

甲州屋は1960年ごろ、近くのお寺の庫裏を借りて毎年展示会を開いていた。軽トラック7、8台分の反物を完売していたことを、当時まだ小学生だった社長の賢三さんが覚えている。段ボール箱に反物が30本入るとして1台に20~30箱、4千反は売れたことになる。

着物が日常生活に根を下ろしていた遠い昔の話である。甲州屋も大久保と新宿のステーションビルに店を出し、20人近くが働いていた。

着物業界によると、売上高のピークはバブル景気の前、1984年ごろで約1兆8千億円。生活慣習が変わり日常生活では着物との縁が薄れていたが、婚礼の支度が市場を支えていた。

都市部に限らず、娘を持つ家庭は、留め袖、喪服、訪問着、付け下げ、小紋と「箪笥一竿(さお)」の嫁入り衣装をそろえるものとされていた。紬(つむぎ)まで用意するかどうかは家によったが、着ても着なくても一通りは誂(あつら)えて持って行く。帯はそれぞれ、襦袢(じゅばん)もそれなりに必要。一度に誂えると大変だから、婚期を迎えるまで買い足し、買い足して婚礼に備えた。

「箪笥一竿」の嫁入り衣装を整える意識が薄れたのは1985、6年からと言われ、以後、着物市場は右肩下がりが続いた。ここ数年は横ばい状態だが、2019年の売上高は業界の推計で約2800億円台までに落ち込む。最盛期の6分の1以下だ。小売店の数も1986年に全国で2万5千軒あったのが、1991年までの5年間に毎年1千軒あまりが転廃業し、現在は1万8千軒にまで減っている。

―― 超アナログの世界だった呉服業

郷親さんの入社は2002年。大学卒業後はサラリーマンになろうと就職活動をしていたが、2代目の祖父、3代目の父が相次いで体調を崩した。後を継がないと店を畳まざるを得ない。創業八十余年の店を潰すのはもったいないと家業を継ぐ決意をした。

仕事を始めて驚いた。学生時代のアルバイトでレジを打ったことがある。バーコードによるPOS(販売時点情報管理)が当たり前だと思っていたが、なんと昔ながらの台帳の世界だった。母親の思い出話はもっとすごい。嫁いで間もない40年ほど前、店で電卓を使ったら、「呉服屋はそろばんを使うものだ」と五つ玉のそろばんを大番頭に渡されたそうだ。先々代社長の創業時代にでっち奉公をはじめ、小僧からたたき上げた大番頭には逆らえない。文字通り、時代劇「越後屋」の世界にタイムスリップだ。

寸法はセンチではなく何尺何寸。反物に付いた帳票は「る ② 7」のように「イロハ」と「○で囲った数字」「裸の数字」と三種の符号が判子で押してあった。「る ② 7」は夏物の紬で七番目の商品と読み解く。今で言う分類コード。売れると決算期の棚卸しの時に番号を詰め、判子を押し直す。1人で作業すると1、2週間、倉庫にこもり、全部終わらせるのに1カ月ほどかかった。

ちなみにIT化した今の棚卸しは、ICタグとバーコードのピッポッパで1日あれば終わる。

台帳と帳票の世界は、さすがに時代にそぐわない。まずは紙ベースの帳簿類をパソコンの表計算ソフト「エクセル」に置き換えた。80歳代の大番頭に頼むわけにいかず、郷親さんが全部ひとりで入力した。仕上げるのに3年ほどかかった。

市場の変化にどう対応するべきかと五里霧中で時を過ごしていた2011年3月11日、東日本大震災が起きた。世の中は買い控えムード一色。嫁入り衣装の落ち込みを支えていた茶道やお花、踊り、お琴など着物に縁のある稽古事をする人、着物が趣味の着物愛好家たちも、会席や発表会が中止になるなどして鳴りをひそめた。反物の注文がばったり途絶え、「このまま潰れるか」と郷親さんは思った。

―― 晴れ着市場はレンタルが主流

成人式の振り袖や七五三の晴れ着はレンタルが当たり前になっている。花火大会の浴衣のように、若い人は和装を一種のコスプレみたいに考えるようになってきた。

さて、どうするか。

客の高齢化が進み、紹介があっても新規の客はなかなか増えない。単純なレンタル商売で市場に参入するには相応の品ぞろえが必要だから、先発の大手にはかなわない。コストをかけずにレンタル商品を手当てする方法があるだろうか。

古いお得意が度々口にしていたことが頭にひらめいた。年を取って着物を着る機会がなくなった。箪笥に眠ったままの着物をどうすればいいか、という相談だった。

客に売った商品だから、その良しあしはよく分かっている。店を贔屓(ひいき)にしてくれた客は着物を大事にしていた人が多い。いい状態の着物を預かることが出来る。それをレンタルすれば、保管するほかに余分なコストはかからない。新ビジネスの糸口が見えた瞬間だった。

着物離れがなぜ起きたのか。郷親さんは経済産業省の和装繊維産業のデータをネットで調べるなどし、背景と現状を洗い直した。「着る機会がない」「自分で着られない」「どこに何を着ていくかの着こなしが分からない」「値段が高く、不透明」……。これらのハードルを越える方法はあるかと考えた。

客に体一つ、身一つで店に来ていただいて、呉服のプロが客の希望にふさわしい装いを薦め、着付ける。このすべてを含めた値段を客に示せればいい。呉服屋ならではのレンタルを思いついた。

―― ICタグ使った顧客管理システム

9割方の女性は着物に興味がないわけではない。かゆいところに手を届かせれば振り向いてくれる。思いついたはいいが踏ん切りがつかなかった時、西京信用金庫が主宰したビジネス交流会に参加した。震災後間もない2011年の春、新宿のホテルで開かれた交流会のブースに中小企業診断士の資格も持つITシステム導入の専門家がいた。

何回か話すうちにフワッとしていたイメージが固まり、秋ごろからシステム作りに動き出した。預かり品を持ってくる客とレンタルの客がいる。住所、氏名、年齢、サイズなどの登録が必要で、場合によっては家族構成も登録した。それぞれ新規の客と会員では手続きが違う。この仕事の手順、手作業でしてきた仕事の流れ、フローをまず作った。

在庫を貸すだけのレンタル業とはシステムが違う。預かり品を個別に管理し、それをレンタルし、レンタルフィーをどの客に渡すかを明示するソフトが必要だが、そんなパッケージソフトはどこにもなかった。最初からすべて手作りで構築しなければならない。2012年の末、5社が参加したコンペでシステム会社を選んだ。

システムを作り上げる作業も一筋縄ではいかなかった。ジョブフロー、手仕事の流れを細分化しないとシステムエンジニアは理解してくれない。専門家が間に入り、システムエンジニアとつないでくれた。

2013年の秋ごろになるとシステムがほぼできあがり、IT機器もそろいつつあったのでデータ入力を始めた。システムエンジニアに入力を頼むと金がかかるので、郷親さんが自分で入力した。ソフト作りだけで約1500万円、店とバックヤードのパソコン、大型プリンター、ICタグ読み取り端末器等々、諸経費を含めてざっと2千万円。投資額の4分の3ほどは融資を受けたが、東京都に提出した「経営革新計画」が承認されていたので、日本政策金融公庫の優遇金利を適用してもらえた。

2014年春、レンタル業を始めた。甲州屋のホームページでも着物を預かるとPRしたが、かねて相談を受けていた客に声をかければ商品は集まった。500点ほどのレンタル商品でスタートした。

現在、ICタグで管理するレンタル商品1千点くらい。履物のようにICタグを付けられない商品もあるが、預かり品は基本的にICタグ、そうでない商品はバーコードで管理している。

洗濯できるように防水加工を施したICタグを預かった商品の見えない部分に縫い付けてある。その中の1センチ角ほどのチップに、いつ、どの顧客から、どういう会員に貸し出したかのレンタル履歴、商品情報を記録し、棚卸しもこれで管理している。

―― お客様に恥かかせない呉服屋の知恵

ただ着物を並べてレンタルするのではなく、どういう場所にどういう人と行くのか、その人の立場を見極め、ふさわしい着物を薦め、きちんとした着付けをするのが一級着物師範の資格を持つ明美さんの役割だ。郷親さんは「お客様に恥をかかせない呉服屋の知恵を一番大事にしている」と話す。

追随する呉服店は今のところはない。自作したシステムをコピーして貸すぐらいのことはすぐに出来る。むしろタッグを組んで一緒にやった方が市場は広がるのではなかろうか。そんな新しい呉服業の展開を郷親さんは夢見ている。

株式会社甲州屋呉服店
本社:東京都新宿区新宿2-5-11 甲州屋ビル
電話:03-3341-3043
従業員:3人
資本金:1千万円
創業:1923年
事業内容:呉服の販売、レンタル

専務取締役:
志村 郷親(しむら・くにちか)

1979年東京都生まれ。3代目社長の長男で、妹が2人いる。学生時代はロックバンドのサークルでリードギターを担当。法政大学経済学部を卒業後、2002年に甲州屋呉服店に入社した。2006年から専務。2015年度、東京都経営革新優秀賞の奨励賞を受賞。

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