ITを導入して生産性の向上を実現する――。中小企業にとっては待ったなしの経営課題なのに、その取り組みの動きは、まだ鈍い。国や自治体はIT導入の支援策を打ち出し、「まず一歩、踏み出して」と背中を押している。IT支援策の現状を探った。
「とくに5人以下の小規模事業者にまず一歩、踏み出してもらえるようIT支援事業を進めていきたい」
東京商工会議所の三村明夫会頭(日本製鉄名誉会長)は7月1日、東商夏季セミナーの席で、こう力を込めた。参加した会頭、副会頭ら幹部の討議を総括した発言だった。何とかITを中小企業の生産性向上につなげたいと考えている三村会頭は、日ごろから中小企業のIT導入を「発火させたい」と語っているという。
IT導入と生産性の関係について、興味深いデータがある。国の「IT導入補助金」(2016年度補正)を利用してITを導入した中小企業が、1年後にどのように変わったかを業種別に示したものだ=下図参照。
それによれば、飲食・サービスでは労働生産性が26.4%上昇し、粗利益は29.9%、売上高は22.5%それぞれ上昇した。卸・小売、宿泊、運輸などの業種でも労働生産性が20%以上も向上している。
これほどIT導入の効果は高いにもかかわらず、現実の中小企業のIT導入現状について、東商の生産性向上担当課長、長濱正史さんは「まだ発火してはいない」と話す。
東商の中小企業委員会が実施した「中小企業の経営課題に関するアンケート」(2019年3月)によると、「ITツールを活用している」と答えた企業は、2017年が50.8%、2018年が51.3%と微増にとどまった。また、「今後活用するつもり」と答えた企業は、2017年が28.0%、2018年が20.6%となり、7.4ポイントも減ってしまった。
なぜだろうか。長濱さんの分析は、こうだ。
「大きな理由として、経営者の高齢化が考えられます。パソコンなどの情報通信機器に対して、どうしても年配者は苦手意識を持ってしまう。ITと聞いただけで尻込みしてしまうようです」
そこを何とか後押ししようと、東商はこの秋から「『はじめてIT活用』1万社プロジェクト」を始めることを決めた。現在、ITを活用せず、関心も薄い60~70歳代の経営者に直接アプローチし、IT活用を支援する計画だ。
経営者の背中を押してIT導入を決断させても、資金がなければ導入は進まない。どんな支援策があるのだろうか。
国の支援策としては3種類ある。「小規模事業者持続化補助金」「IT導入補助金」「ものづくり・商業・サービス高度連携促進補助金(略称:ものづくり補助金)」だ=下表参照。
小規模事業者持続化 補助金 (200億円) |
IT導入補助金 (100億円) |
ものづくり補助金 (800億円) |
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開始年 | ||
2014年 | 2017年 | 2010年 |
対象層 | ||
IT導入を進めるため、経営課題の整理やIT活用の基本などについて、きめ細かいフォローが必要な層 | 一定のIT投資を行って、ITシステムを整備しており、システム間のデータ連携を実現することで、更なる生産性向上を進めたい層 | ITを十分に利活用し、収益につながっている"トップ層" |
補助額(率) | ||
50万円 (2/3) |
40万~450万円 (1/2) |
100万~1,000万円 (1/2、一定の条件で2/3) |
件数2018年実績 | ||
約18,000件 |
約63,000件 |
約12,000件 |
支援内容 | ||
*ホームページやECサイト *ポスレジや決済・会計ツール *外国人対応ツール(翻訳ツール) 等 |
*財務システム *勤怠管理や給与など人事システム *顧客管理システム 等 |
*革新的なサービスの開発・試作品開発・生産性プロセスの改善を行うために、新たに開発するシステム・ITツール |
東京商工会議所の資料などから(注)
長濱さんによると、小規模事業者持続化補助金の対象は、まだITを利活用していないか初歩的な利活用で止まっている中小企業。まさに東商がこれから「発火」させようとしている先で、補助率は補助対象経費の3分の2以内、上限は50万円だ。
IT導入補助金は、すでに一定のIT投資を行っている中小企業が対象。苦手意識を捨てて取り組んで効果を実感し、「さらなる飛躍を目指そう」という中小企業に向いている。今後の拡大を狙って、2018年度に15万~50万円だった補助額が、2019年度には40万~450万円へと大幅アップされた。
ものづくり補助金は、上限が1千万円と多い。すでにITを存分に利活用して収益アップにつなげている中小企業を対象にしている。「このレベルの企業は、東商などの手助けがなくても、自社でどんどんIT化を進めていける企業です」と長濱さん。
IT導入への支援事業は、国だけでなく、地方自治体も取り組んでいる。例えば東京都は昨年、「ICTツール導入助成事業」をスタートさせた。この事業は、生産性向上を目的としてITを導入する中小企業が対象。助成対象金額の2分の1が助成される(小規模企業は3分の2)。上限金額は300万円だ。
窓口は東京都中小企業振興公社で、支援を受けるには公社の診断を受けなくてはならない。適性診断は2段階。最初に導入前適正化診断がある。公社から派遣された専門家が現場を調査して問題点を洗い出し、IT導入で問題を解決できるかを診る。IT導入が効果的と診断されれば、導入機器診断に移る。公社が委託した業者が具体的な機器やサービスを複数提案し、そこから導入策を選び、導入助成事業の申請へと進む。
だが、この診断を「受けてみよう」と決断するまでが簡単ではない。IT導入は「ハードルが高い」という思い込みから抜け出せない中小企業の経営者は、少なくないのだ。東京都中小企業振興公社の担当者は「公社として普及啓発セミナーや合同研究会を開いたり、また相談窓口を設けたりもしています。そこで啓発されて診断へと進むケースが多いからです。IT導入は難しいという思い込みをなくすような普及啓発を進めることが大切です」と話す。
IT導入へのハードルを越えようと決断しても、国や地方自治体の支援制度をどう活用できるのか、IT導入後にうまく運用できるのか、と初心者ほど心配になるものだ。そんなときには商工会議所や東京都中小企業振興公社の窓口に相談すればよい。東商の長濱さんは言う。「秋から始める1万社プロジェクトでは、職員らが中小企業者を訪問したり、相談を受けたりしながらIT導入を働きかけるつもりです」
IT導入の相談は、身近な金融機関も応じ始めている。例えば東京都台東区に本店を置く朝日信用金庫は、中小企業のIT導入を積極的にサポートしている。お客さまサポート部の部長で執行役員の竹尾伸弘さんは話す。
「国の支援策であるIT導入補助金の募集開始時期は不定期ですが、こちらで募集開始の情報を入手したら、すぐに営業に流します。営業からお客様である中小企業に情報を伝えて、できるだけ多くの企業に利用してもらいたいからです。補助金の存在さえ知らない企業が、まだ多いです」
多くの中小企業にIT導入に関心を持ってもらうため、朝日信金はIT導入のメリットや導入方法などをテーマとした各種セミナーを頻繁に開いている。セミナー終了後には個別相談会を設けている。
IT導入補助金を受けるためには、申請書を書かなければならない。これが、ずいぶん面倒なようだ。「この段階であきらめてしまう経営者も少なくありません。朝日信金では受理されやすい申請書の作成を手伝っています」と竹尾さん。
こうした親身なサポートの結果、IT導入に関心を持つ経営者は徐々に増えているという。朝日信金はどのようなシステムを構築するかについてもアドバイスしている。導入するのは顧客管理システムなのか、販路開拓のためのツールづくりなのか、それともインターネットでの宣伝強化策なのか。中小企業のニーズは様々だ。取引金融機関は中小企業の内実がよく分かる。その利点を生かして、IT導入の具体策を一緒に考えようとしているのだ。
地域金融機関は中小企業に単に融資するだけではなく、取引先の経営課題を考え、解決策を探りながら資金支援をするというビジネスモデルづくりが求められている。IT導入へのアドバイスも、その一環だ。朝日信金の竹尾さんは語る。
「中小企業経営者の多くは『目の前の仕事に追われて、なかなか先を見越してのIT導入まで考えられない』という状況かもしれません。そういう経営者に相談に来てもらえれば、力になれると思います」
関東に本店を置く地銀の部長も「仕事現場で困っていることがIT導入で解決できるという発想に、まだたどり着けない中小企業の経営者が多いようです。解決できることを説明すると、興味を持っていただける。我々としてもIT導入を提案していく営業を積極的に進めるべきだと考えています。IT導入を対象にした特別融資枠をつくる検討も始めているところです」と話す。IT導入を検討するときには、まずは取引金融機関に相談してみるのもいいかもしれない。
いまのIT化において念頭に置いておかなければいけない事項の一つは、スマートフォンの普及だろう。総務省の「情報通信白書」(2017年度版)によると、50歳代のスマホの普及率は2011年の14.6%から、2016年には66.0%に上昇した。60歳代の普及率も16年は33.4%だった。東商の長濱さんは「年配者でもスマホを使いこなす時代になっている。スマホがきっかけで、年配者のIT苦手意識は急速に解消されていく気がします」とみている。
例えば、こんな事例がある。
不動産管理の技術・サービスを開発するスタートアップ企業、ライナフ(本社・東京都千代田区)は、スマホなどで簡単に玄関扉の解錠・施錠をできる「スマートロック」で知られている。そのライナフのサービスを使えば、不動産物件の内覧時に面倒なカギの受け渡しが不要だ。
従来は、不動産管理会社は不動産仲介業者から物件の空き状況の確認(物件確認)の問い合わせに電話で答え、部屋が空いていれば内覧のためにカギを渡す。電話は夜間や休日にもかかってくるので大変だ。ライナフが開発したシステム「スマート物確(物件確認)」ならば、不動産仲介業者は電話で物件名を告げると、AI(人工知能)が自動応答してくれ、迅速に物件確認できる。しかも、AIだから24時間365日、対応できる。
空きが確認できればカギの受け渡し。ここで威力を発揮するのがスマートロックを使った「スマート内覧」だ。1回限りの暗証番号が発行され、不動産仲介業者はその暗証番号で玄関ドアを開け、内覧の案内ができる。カギの受け渡しはない。
さて、ここで問題なのが、中小の不動産仲介業者が、このシステムを使いこなせるかどうかだ。ライナフ執行役員の杉村空さんも、サービス開始時にこの点を心配していたという。「町の不動産屋さんがスマホやタブレットを使いこなせるかどうか。それを心配される不動産管理会社は多かったですね」。中小の不動産仲介業者は家族経営が多く、年配の経営者が現場を担当することも珍しくない。そういう年配者がスマホやタブレット端末を使えるのだろうかという心配があった。
しかし、サービスを始めてみれば杞憂(きゆう)に終わる。「そんな心配は無用でした。いまは年配者でもスマホくらいは使えますからね。電話ですぐに空き状況が確認でき、カギの受け渡しをする手間も省ける。その分、新規物件の開拓などに時間が割けるようになったと喜んでいただいています」と杉村さん。
高いと思っていたハードルも、越えてみれば意外と低かった、という事例だろう。国や地方自治体による支援制度や金融機関の変化、そしてスマホの普及がIT導入に二の足を踏んでいた中小企業経営者の背中を押すのかもしれない。「まず一歩、踏み出す」ことが、IT導入の「発火」へとつながる。
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