梅雨が明け、からりと晴れた夏のある日。浅草は言問橋で待ち合わせると、やって来たのはスラリと長身、和装の似合う異国風情の伊達男。彼の名は「三遊亭じゅうべえ」。長寿番組『笑点』ではピンクの着物でお馴染みの三遊亭好楽師匠の弟子として、一人前の噺家になるため日々の修業に励む夢追い人である――。
実は近年、落語家の人口は急増中だ。2016年には800人の大台を越え、江戸時代以降では過去最多を記録。かつて落語界は女人禁制の男社会だったが、今では東西の落語協会を合わせると50名以上もの女性が登録されている。一方、そんな落語界でもまだまだ希少な存在なのが“外国人”の噺家だ。
日本から遠く離れた北欧の生まれながら、じゅうべえさんはなぜ、落語家という異国の伝統芸能の「アトツギ」たる存在になろうと思ったのか。我が国でも旧習と見なされ、敬遠されがちな「徒弟制度」の世界は、彼の目にどう映っているのか。「外国人落語家」という稀有な存在が生み出すこうした問いに、悩みつつも口を開く彼。その答えは写し鏡のように、この社会の問題と解決の糸口を映し出していた。
じゅうべえさんの弟子としての一日は、まず朝一番に師匠に電話をかけるところから始まる。当日の予定を確認し、必要があれば指定された場所に出向く。寄席や講演がある時は、楽屋でお茶を出す、着物を畳む、太鼓を叩くなどの裏方に回る。
「師匠が気持ちよく高座に上がれるように、身辺のサポートをすることが、見習い期間の大きな役割です。他所の師匠方のお手伝いをすることもあります」
単なる雑用ではない。弟子たちは師匠にぴたりと付き従うことで、芸人としての生き様を身体で覚えていく。そんな毎日は「覚悟はしていたものの、想像以上に忙しい」。拘束時間は長く、食事も自分のタイミングではできない。時にはあまり寝られない日もある。
「伝統芸能の弟子」と聞くと想像するのが、師匠の家に住み込んで生活まで共にする「内弟子」の形。しかし、今の落語界ではほとんど見られないそうだ。
「師匠に『なんで内弟子を取らないのか?』と聞いてみたことがあります。そしたら、おかみさんが弟子に家のことをさせるのはかわいそうだと言うからと。長年やって真打になっている弟子もいますし、全員で一緒に住むことはまずありませんね」
高座のない日には、願い出て「稽古」をつけてもらう。落語家の稽古は今もやはり「見て覚える」もの。最初は目の前で演じてもらい、ICレコーダーなどで録音をする。それを聴き込んで覚え、後は空き時間にひたすら練習あるのみ。できるようになったら、師匠の前で実演して、あれこれと指導を受ける。師匠の許しを得られれば、他所の師匠に稽古をつけてもらうことも可能だ。
「うちの師匠は、稽古中はものすごく真剣な面持ちになるんです。普段は温和な表情だから、最初はとても驚きました。指摘自体は厳しいですが、口調はいつも丁寧でやさしいです。一方で、『違うだろ!』と大声を出す方もいて、教え方も人それぞれなのだな、と感じています」
何度も稽古を繰り返し、師匠から「その噺、やっていいよ」と許しを得られたら、初めてお客さんの前で演じられる。個人差はあるが、修業期間である「前座」で3~5年、「二ツ目」で約10年。たゆまず芸を磨き、ようやく一人前の落語家「真打」となる。簡単な道のりではない。
落語のように正式な職業システムとして「徒弟制度」が残っている例は希少だ。その関係性は、一般企業における「上司:部下」とは根本的に異なると、じゅうべえさんは言う。
「師匠は“ボス”ではなく“お父さん”に近い存在。自分より一日でも早く入門している人たちは、年齢にかかわらず“兄(あに)さん・姉さん”であり、上の人が言うことは絶対です」
厳しい上下関係がある一方で「上は見返りなしに下を助けるのが鉄則」だという。ご飯に行けば一番上の者が全員分を払い、教えを請われれば惜しまず授ける。落語界全体に「後進を育てよう、皆で面倒を見よう」という空気が根づいている。
「入門してから『師匠選びも芸のうち』という言葉があることを知りましたが、うちの師匠はいつでも親身に相談に乗ってくれる、優しい人です。兄さんたちはライバルでもあるけど、助け合う存在。仮に弟子が何か問題を起こしたら、矢面に立って責任を取るのは師匠です。本当に“家族”と表現するのがしっくりくる関係性だなと感じています」
縁に恵まれ、周りからは良くしてもらえている。それでも、時々はつらさが拭えないときもある。見習い期間はほとんど個人の自由がなく、渡世には悩みがつきものだ。そんな話題でも「『修行中はとにかく苦しめ、その苦しみが芸につながる』なんておっしゃる方もいますが」と、しっかり笑いを取るじゅうべえさん。
「かわいがってくれる上の人もいるので、助かっていますね。今は落語家として最も大変な時期なんだと思います。ここを乗り越えたら、もう少し楽になるのかなと。『苦しみが芸につながる』というのは、そうとでも思わないとやってられない、という先人の知恵かもしれません(笑)。ただ、人の業を笑いに変えるのが落語の世界ですから、それは真理だと感じる部分もあります」
三遊亭じゅうべえさんの本名はヨハン・エリック・ニルソン・ビョルク。1985年、スウェーデン中部の都市、ウプサラで生まれた。子どもの頃から『ドラゴンボール』や『NARUTO』など日本のアニメを見て育ち、それが日本文化への興味につながった。
「スウェーデンをはじめ欧米では『アニメと言えば子どものもの』という認識がまだ根強いです。一方、日本のアニメやマンガは子ども向けでも深いストーリー性、メッセージ性があって、大人でも楽しめるものが多い。そこに魅力を感じました」
好きが高じて、高校では日本語クラスを選択。並行して演劇にも熱を入れた。卒業後は俳優になろうかと考えたが、それも狭き道。「もう少し勉強しながら将来を考えよう」とストックホルム大学に進学した。日本語を専攻し、憧れの現地留学を目指して猛勉強を始める。
大学4年次、交換留学生として中央大学に1年間在籍することが決まり、念願の訪日。ちょうどサークルの新歓時期にキャンパスに行くと、そこで人生を変える出来事が起きた。たまたま落語研究会、いわゆる「落研」の勧誘に遭遇したのだ。
「落研の新歓ライブに行ってみたら、着物を着た人が壇上で座ったまま、一人芝居をしていました。日本語は聞けば大体は理解できるつもりでしたが、初めて耳にするような口調で、わからない単語も多くて。奇妙だなと思いつつ、お客さんがみんな笑っていて、心惹かれるものがありました。これが、落語との出会いです」
そのまま落研に入会を決め、留学中は真剣に落語に取り組んだ。欧米の演劇セオリーとは異なる不思議な世界観、身一つであらゆる場面や役柄を演じ分ける奥深さにのめり込む。帰国後もその熱は冷めやらず、卒論のテーマにも落語を選んだ。
大学卒業後、就職はしなかった。そんな自分をじゅうべえさんは「普通の仕事に興味が湧かなかった与太郎」と自嘲する。しかし、おぼろげに道は見えていたという理由もある。
「演じる方面にいきたい気持ちは変わらなかったし、どうせなら覚えた日本語も生かせるといい。せっかくハマったことだし、落語を本格的にやってみようと思って、29歳の時に再び日本に舞い戻りました」
アテもなければツテもなかった。再来日からの3年間は、俳優専門学校で演技の勉強を続けつつ寄席に通い詰め、情報収集に努める日々。プロの落語家を目指すなら、誰かの弟子につく必要がある。この「誰か」がとても重要だと感じていた。数えきれないほどの高座を聴いて「この人だ」と思ったのが、三遊亭好楽師匠だった。
「私にとって特別な存在で、ほかの人にはない温もりを感じたんです。『人として信頼できる、この方に教わりたい』という気持ちが自然と起こりました」
ある日の高座後、トリを務めた好楽師匠を訪ねて、思いの丈を綴った手紙を渡した。帰宅後に封を開いた師匠は感心したそうだ。「誠に恐縮ではございますが」との書き出しから、便箋3枚にわたって綴られた弟子入りの嘆願には、誠実さと情熱がにじみ出ていた。
後日、師匠に呼び出しを受けた。あらためて会いに行くと、師匠から「いいの? ここで」とやさしく訊かれた。その言葉にこもっていたのは、噺から感じた温もりそのものだった。「はい、ここで修業させてください」と即座に答えた。
2016年7月15日、正式に入門を許された。師匠から預かった前座名が「三遊亭じゅうべえ」。由来は「“十”番目の弟子」だから。漢字でない平仮名の名付けには「親しみを持ってもらえるよう」という師匠の願いが込められている。こうして、彼の落語家としての人生が幕を開けた。
200年以上、脈々と受け継がれてきた話芸である落語。それを継承していくためのシステムとして、徒弟制度が残ってきた。師弟の間に法的な契約もなければ、雇用保障などもない。この封建的なシステムに対しては、さまざまな問題提起ができるだろう。「非合理、理不尽だと思うこともある」とじゅうべえさんも言うが、彼はそれらを全否定しない。
「システムも含めて“伝統”なのだと思っています。この世界観が続いてきたからこそ、いまのような芸の形が残っているとも言える。ただ一方で、『伝統だからしょうがない』と言って、変えることを諦めたくはないですね」
「日本人は『しょうがない』ってよく言いますね」とじゅうべえさん。「アニメやマンガでは『好きなことや夢を追って自由に生きろ』というメッセージを訴える作品が多いのに」と続ける。
「でもたしかに、急に変えようとしたら、今まで我慢してきた人たちが納得いかないだろうし、逆に硬直化してしまうかもしれません。本気で変えたいなら、文化全体のバランスを崩さないよう、きっと長い時間をかけて慎重にやるべきなんです。中に入って初めて見えてきましたが、古いしきたりも少しずついい方向に変わってきています」
じゅうべえさんの存在こそ、伝統芸能の世界における、変化の兆しでもある。「日本の外から来た自分だからこそ見えること、できることがあるはず」だと、彼も自負している。
「ずっと先の話ですが……もし自分が真打になって弟子を取ることになったら、いろいろ提案したり、チャレンジしたりしたいことはあります。ただ、それも既存のシステムの中から始める、というのが大前提。業界の伝統的な考え方と自分の考え方、両方をすり合わせて、自分らしくやっていければと思っています」
じゅうべえさんの存在はまだ、今の落語界ではとても異質だ。彼はこの先、どんな落語家を目指すのだろうか。
「珍しい存在だと注目していただけるのは、芸人としてありがたいこと。みなさんを楽しませることはもちろん、私の落語をやる姿が『日本人じゃなくても落語ができるんだ!』『自分だってもっとチャレンジできるのでは?』と、誰かの背中を押すきっかけにつながってくれたら、とてもうれしいです」
落語家。本名はヨハン・エリック・ニルソン・ビョルク。スウェーデン在住時に日本文化に興味を持つ。ストックホルム大学で日本語を学び、その後、中央大学に交換留学した際に、落語を知る。ボルボ亭イケ也としての活動を経て、2016年に三遊亭好楽の十番弟子として入門。現在は前座修行中。
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