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イタリアン「鉄人」の弟子
ITで極めるおもてなし

東京・荻窪の商店街から道を1本はずれた住宅街に、イタリアンレストラン「リストランテ ドラマティコ」はある。あのテレビ番組「料理の鉄人」で「イタリアンの鉄人」と呼ばれたシェフが、かつて腕をふるった店だ。その店を引き継いだオーナーシェフの重岡中也さん(40)は今、独自に開発した顧客管理システムを使い、きめ細かなおもてなしを実現している。

文:ジャーナリスト・前屋健
photo:伊原正浩

「今日は結婚記念日のお祝いだね」「3カ月ぶりのご来店です。前回はスパークリングワインで乾杯されました」「奥様はお魚が大好きです」

ドラマティコのオーナーシェフ、重岡中也さんが、これから迎えるお客さんについてスタッフと話している。それぞれの手には、タブレット端末やスマートフォン。画面に来店記録や誕生日などの記念日、食事・ドリンクの好み、食物アレルギー情報が表示されている。ドラマティコが独自開発したクラウド型の顧客管理(CRM=カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)システムのデータだ。来店されるたびにスタッフが気づいたことを書き込み、情報を更新している。

お客さんは、店のスタッフが自分の好みをよく知ってくれているので、くつろげる。スタッフは、以前に来店されていれば、初めて接遇する客であっても、好みなどの情報があるので失礼のない対応ができる。重岡さんは「ドラマティコがお客さんにとって居心地の良い場所になってほしい」という。

使っているクラウド型CRMは、2015年秋に導入した。3年後には客単価が20%高くなり、売上高は50%伸びた。常連客の満足度が増し、彼らが新しいお客さんを連れてくる。今度はそのお客さんが常連客になる、という好循環が生まれている。今では9割が常連客だ。

―― 「鉄人」に学んだ修業時代

重岡さんがドラマティコで働き始めたのは1998年。高校を卒業し、料理学校で1年学び、19歳の時だった。「イタメシ」(イタリア料理)ブームでもあり、大手のレストランで働きたかったが、希望はかなわず、JR荻窪駅から徒歩数分の住宅地にあった小さなレストランを紹介された。それがドラマティコだった。

当時のドラマティコのシェフは神戸勝彦(こうべ・まさひこ、今年3月死去)。1990年代の人気番組「料理の鉄人」に、97年からイタリアンの鉄人として出演した料理人だ。神戸さんのもとで重岡さんの修業がスタートした。ところが2年後、神戸さんは独立のためドラマティコを辞める。急きょ、21歳でシェフに任命された重岡さんだったが、「神戸さんの下で働いていたとはいえ、修業期間は短かった。本場イタリアで修業したいという気持ちが高まりました」。ドラマティコで働きながら23歳から2度、通算2年半の間、イタリアで料理を学んだ。

2007年、2度目のイタリア修業を終えて帰国すると、オーナーから「店を引き継がないか」と持ちかけられた。その申し出を引き受けた重岡さんは28歳。店名はそのままにして、「株式会社ス・ミズーラ」を設立して、再出発した。

―― 過去の注文や好き嫌いのデータを蓄積

オーナーシェフとなった重岡さんが重視したのは、顧客とのコミュニケーションだった。当時のドラマティコは今の住所と違い、JR荻窪駅から少し離れた場所にあった。「お客さんがふらりと入ってくるようなロケーションではありませんでしたので、常連のお客さんに頼るしかありません。その常連さんに足しげく通ってもらい、さらに常連さんを増やしていくには、おいしい料理を出すのはもちろんですが、お客さんとの会話、コミュニケーションを深くすることが大事だと思ったのです」

「前のオーナーもお客さんの情報を予約帳に手書きで書き留めてはいた。しかし、お客さんごとに情報を整理しているわけではないので、新しく予約が入っても過去の情報を役立てることができなかった。重岡さんは店の経営を引き継ぎ、まず始めたのがパソコンへのデータ入力だった。お客さんの名前や連絡先、来店時のメニュー、好き嫌い、アレルギーの有無などをエクセルに打ち込み、その情報をスタッフと共有した。

「次に来店されたときに『この食材はお嫌いでしたから、こちらに変えましょうか』と提案すると喜ばれるのです。そういう会話の積み重ねで、お客さんとの距離が縮まっていきました」

効果はてきめんだった。売り上げは伸び、赤字だった経営は引き継いでから2年ほどで黒字に転換した。

この頃は、現在の「常連9割」という経営の基盤づくりの時期だった。重岡さんは飲食店にとって顧客とのコミュニケーションが大事なことを改めて実感するとともに、自分の考えが正しかったことを自ら証明したのだ。

―― エクセルからクラウド型CRMへ

経営は上向いたが、そこで満足する重岡さんではなかった。エクセルだとデータの入力と整理に手間がかかる。そのうえ、検索などの面で使い勝手の悪さを感じていた。「スタッフ全員が顧客情報を共有するには、簡単に検索できることが必要。お客さんの数が増えていけば、なおさら検索機能が重要になる」と考えた重岡さんは、何とか改善できないかと模索した。だが、いろいろなソフトウェアを検討してみたものの、なかなか思いどおりの機能があるソフトは見つからなかった。

ちょうどそんな時、店を移転し、住居と一体にする自社ビルの建設計画が持ち上がった。地元の金融機関と建設費用の融資について相談した。その際、当面の経営課題として顧客管理システムの改善があることを融資担当者に伝えると、「IT関係の専門家を紹介しましょう」とアドバイスされた。

重岡さんは金融機関に紹介されたシステムエンジニアと一緒に自前のクラウド型CRMの構築に着手。開発には1年くらいを要した。エンジニアにはエクセルによる顧客情報管理で感じた不便さや、徹底したおもてなしのために必要だと思う機能を伝えた。検索機能の使い勝手はもちろん、入力する顧客データの項目も細かく注文した。重岡さんは当時を振り返る。

「若いカップルだったとか、ビジネス上の接待らしいとか、利用していただいたときの状況、ワインの好み、誕生日などを細かく記録できるようにしました。メモ欄をつくり、気がついたことを書き込めるようにもしました。食べるのが早いとか、遅いとか、話し好きだとか、とにかく気がついたことを書き込んで、それをスタッフで共有できるようにしてもらいました」

現在の場所に念願の自社ビルが完成し、2015年11月、新装開店した。1階がカウンターで10席、2階がテーブルで20席の店舗。3階と4階は自宅だ。自社ビル完成と同時に重岡さんとシステムエンジニアが独自に開発したクラウド型CRMも稼働した。

クラウド型にしたので、それぞれのスタッフが自分の持ち場でタブレット端末やスマホで顧客情報を確認できるようになった。以前のようにパソコンの前に座り、キーボードをたたかなくてもよくなった。面倒くさくないことが情報共有には重要だった。

クラウド型CRMの利用を始めたときの顧客管理数は1千件ほどだったが、現在は5千件を超えているという。エクセルでデータ管理していたら、とっくにパンクしていた。使いやすいオリジナルソフトを開発し、IT化を一歩進めたからこそ、おもてなしのための新しいツールを手にすることができた。

―― 全国の百貨店イベントに出店も

導入してみると、新たな課題が見えてきた。お客さんの情報をたくさん知りさえすれば、より良いおもてなしにつながる、と考えていたが、必ずしもそうではなかったのだ。「『先日と同じワインでよろしいですか』とたずねても、今回はもっと安いワインにしようと考えていらっしゃるかもしれません。それを考えずに先走ったたずね方をすれば、おもてなしどころか逆効果になりかねません。情報がなければ困りますが、それをどう活用するかは、やはり人としてのセンスになってきます」と重岡さん。

もっとも、CRMの導入でお客さんとのつながりが強くなったことで、副次的な効果も生まれている。

お客さんの中に百貨店のバイヤーがいた。常連客となり、親しく話すようになったある日、「イベントがあるからドラマティコとして出店してみませんか」と誘われた。このイベントがきっかけとなり、百貨店が企画するイタリアフェアなどのイベントでテイクアウトの総菜やデザート、手打ちパスタを販売したり、仮設のレストランを出したりするようになった。北海道から沖縄まで30カ所以上の百貨店のイベントに出店し、物販事業に乗り出す足掛かりができた。今ではドラマティコの売上高の1割以上を物販事業が占めている。

イベントで出店するには、材料の仕入れ先からカロリーにいたるまで、百貨店にデータを提出しなければならない。だが、クラウド型CRMを使い始めたことで、スタッフにはデータを保存する習慣が身についている。いったんデータをそろえてしまえば、少しの修正で別のイベントにも使えた。データを手書きで管理していたら、これほど多くのイベント出店は難しかっただろう。

―― コックもデジタル使いこなせなきゃ

料理のレシピもデータで管理している。シェフの調理ぶりを見て覚えろ、技を盗め、と昔気質の教え方ではなく、データ化したレシピを用いて若いコックに料理を教え込む。クラウド型CRMを導入したことで、様々なレストラン内の業務が効率化した。その結果、新メニューの創作に専念したり、接客したりする時間が増え、サービスが向上した。

重岡さんは2015年につくりあげたシステムを「完璧なシステム」だと思っていたが、今はさらに新しい機能が欲しくなっている。おもてなしに限界はない。そのためには、絶え間ないシステムの改善が欠かせない。

「これからのコックはデジタルを使いこなせないとやっていけません」。重岡さんはそう言って、にっこり笑った。

株式会社ス・ミズーラ
イタリアンレストラン「リストランテ ドラマティコ」
本社兼店舗:東京都杉並区荻窪5-12-16
電話:03-6915-1836
従業員:6人
創業:1996年
設立:2007年
資本金:300万円
事業内容:レストラン経営、総菜などの物販事業、イベント出店など

代表取締役・オーナーシェフ
重岡 中也(しげおか・ちゅうや)

1979年、静岡県生まれ。高校卒業後に上京し、料理学校に1年通う。98年、リストランテ ドラマティコに入店。2度の渡伊を経て、2007年にドラマティコを引き継ぎ、オーナーシェフに。同時に株式会社ス・ミズーラを設立。15年11月に店を移転し、店舗兼住宅の自社ビルを建てる。現在は月に1度の料理教室も開催し、好評を得ている。

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