東京都足立区の「今野製作所」は、重いモノを持ち上げるジャッキで日本の“現場”を支える中小企業だ。この10年ほどで売上高が約2倍に伸びる躍進の裏には、試行錯誤しながらITツールを駆使して業務プロセスを見直し、専門家や大学の力を借りて開発した生産管理システムがあった。
自動車の製造現場、家のリフォーム現場、歴史的構築物の修復現場、災害現場……。そんな“現場”で重い機器などをミリ単位の精度で動かしたり、備え付けたりできる「油圧爪つきジャッキ」は、今野製作所が日本で初めて商品化した主力製品だ。「イーグルジャッキ」のブランドで展開している。そんな今野製作所も、2008年のリーマン・ショックでは大打撃を受け、売上高が45%も落ち込んだ。
苦境から抜け出そうと乗り出したのが、顧客の細かなニーズを反映した特注品の製造・販売。しかし、この特注品が社内に混乱を招くことになる。「製造部門は暇なのに設計部門は忙しい」という不思議な状況に陥った。
代表取締役の今野浩好さん(57)は、当時を振り返る。刷新したホームページで特注品がつくれることをアピールし、積極的に営業して回った結果、少しずつ注文は増えていった。ふつう注文が増えれば、製造部門は忙しくなるはず。ところが、「営業担当者が技術的な要件や仕様を聞き出す能力が不十分でした。設計担当者はその不十分な情報をもとに図面を引きますから、当然、お客さまからダメ出しを受けるわけです」(今野さん)。
営業担当者は、なぜダメだったのかわからないまま会社に戻り、設計担当者に「ダメだと言われました」と伝える。設計担当者は黙ってはいない。「ちゃんと聞いてこい」と怒り出す始末。設計が固まらないので、製造部門は仕事ができず暇になってしまうというわけだ。
今野さんはITコーディネーターで中小企業診断士の資格をもつ渡辺和宣さんに相談した。「業務プロセスの見直しが必要だと思います」とアドバイスされた。今野製作所が抱える問題は、中小企業に共通する問題だった。
渡辺さんの指導のもと、2010年、「プロセス参照モデル」という手法を使った業務の見直しが始まった。標準的な業務プロセスを組み合わせて全体の業務の流れを示す「仮説」をつくり、実際の業務と仮説とを比較しながら、何が必要か、何が無駄か、どこに問題があるかをあぶりだす。
「業務プロセス見える化プロジェクト」は月に2回、渡辺さんら約10人のコンサルタントが今野製作所を訪れて進められた。プロセス参照モデルを現場で学びたいというコンサルタントが、無給でプロジェクトに参加してくれた。
見えてきたのは、営業担当者が設計や製造の段階で必要な情報を顧客から聞き出せていないことが最大の問題だということ。必要な情報を拾い出し、項目ごとにまとめた。「販売チャネルや与信に関する情報」「納期・コストなどの制約条件」といった、すべての業務に共通する情報のほか、特注品の場合には使用方法、使用場所、スペック、評価ポイントなど、「顧客の要求」に関する情報を加えた。
営業担当者が顧客から聞き出すべき情報を明らかにして、整理した。仕事の流れがスムーズになった。今野さんは「当たり前のことばかりですが、それができていなかったのです」。
2011年には、営業担当者が集めた情報を全社員が共有できるようにクラウドサービスを導入した。営業担当者が案件ごとに必要な情報を入力し、設計や製造の担当者がその情報を確認しながら仕事を進める環境が整った。設計や製造の担当者は、営業担当者が入力した情報に対するアドバイスを積極的に入力するようにした。その結果、営業担当者の提案レベルが向上する好循環が生まれた。
今野さんは1996年、大手工業用ゴム部品メーカーの管理部門で10年間働いた後、父親が経営する今野製作所に入社した。「驚いたことに、当時はほとんどの業務を手書きの台帳で管理していました。月次の売り上げがわかるのは3カ月後。オフコンを入れてはいましたが、請求書と納品書を打ち出すだけ。それも出力するたびに社名、製品名、単価などの情報を、いちいち入力していた」。
ITを活用した業務の効率化の必要性を感じた今野さんは、入社翌年から販売管理システム、経理システム、電子メール、スケジュール共有システムと相次いで導入していった。業務プロセスの見直しも、その延長線上にあったわけだが、残っている問題があった。生産管理システムだ。
06年に生産管理のパッケージシステムを導入したが、ほとんど機能していなかった。リーマン・ショック後に特注品の受注を増やしたことで、生産管理が複雑になり、パッケージソフトでは対応できなくなっていた。今野さんは「パッケージソフトはうちの生産管理には合わない。独自のプログラム開発を依頼すると費用がかかりすぎる。うちのような規模の中小企業には生産管理でIT化の手段はないのではないか」と、あきらめかけていた。
今野さんは09年、以前から交流があった中小企業診断士の川内晟宏さんに悩みを打ち明けた。すると、生産管理システムを研究する法政大学デザイン工学部の西岡靖之教授を紹介された。中小企業が自力で業務システムを開発することを目標に、プログラミング不要の「コンテキサー」という仕組みを研究していた。
二人は今野製作所を訪れた。西岡教授は誘った。「生産管理システムは自社で開発すべきです。コンテキサーを使った生産管理システムを独自開発しませんか」。川内さんも「応援するから自社開発に挑戦してみませんか」と後押しした。今野さんは迷った。社内の人材では難しいのではないか……
背中を押したのは、川内さんの「誰かが挑戦しなければ中小企業のIT化は進まない。あなたがやらずに、誰がやるんですか」という励ましと、西岡教授の「私が実現したいのは『ITカイゼン』です」という言葉だった。「『カイゼン』なら、ふだんから実行している。それならできるかもしれない」。今野さんは決断した。
2010年、生産管理システムの自社開発をめざす「ITカイゼン」のプロジェクトがスタートした。西岡教授はプロジェクトのねらいについて、「目的は情報のムダをなくすことです。トヨタ自動車がカイゼン活動で製造ラインのつくりすぎのムダ、手待ちのムダ、運搬のムダ、在庫のムダなど七つのムダをなくしたように、情報にも七つのムダがある。それをなくすのが『ITカイゼン』です」と説明した。
西岡教授は毎月1回、今野製作所を訪れ、生産管理の現状と課題をヒアリング。見えてきた情報のムダを解消するため、簡単なアプリケーションをつくった。そのアプリを社内で使ってみる。改善の要望を西岡教授に伝える。アプリを修正し、再び社内で使って改善するの繰り返し。今野さんは「この方法なら中小企業でも自社開発できる」と感じた。
アプリには、次のような機能が備わった。①注文した物品を受け取る部署に置かれた端末には、注文時に入力したデータをもとに受け入れ予定のリストが表示される②受け入れ処理をする作業者は、そのリストを見ながら届いた部品を確認し、入力する③入力された情報はリアルタイムで製造現場に設置されている端末でチェックできる。入力の手間も少なく、情報がそれを知りたい部署に即座に伝わる仕組みができた。
「通常のシステム開発では、まずどんなシステムを作ってほしいか要望を出さなければいけませんが、実際には要望を明確にすること自体が難しい。一方、西岡先生のやり方は、まず簡単なシステムが提供される。それを実際に使っているうちに『業務の流れに合っていない』とか『こういう機能がほしい』とわかってくる。改善すべき点が自然に見えてくる」と、今野さんは評価する。
中小企業のものづくりは多種多様だ。それぞれの会社で生産形態が異なる。今野製作所のように、仕様がある程度一定の標準品から特注品までつくるようになると、同じ社内でも複数の生産形態が混在することになる。標準品の生産形態は「見込み生産(MTS=Make to Stock)」だが、特注品は「受注組み立て生産(BTO=Build to Order)」、あるいは「個別受注設計生産(ETO=Engineer to Order)」だ。複数の生産形態が混在する場合、汎用(はんよう)的な生産管理のパッケージソフトには限界があり、中小企業にも自社に合った生産管理システムを作る能力が必要になっている。
「部品加工を手がけていた会社が付加価値を高めようと、半製品や組み立て品の製造を始めると、生産形態が変わってきます。付加価値が高い製品はその分、手間がかかるわけです。手間をかけずに製造する術を身につけないと、中小企業は倒れてしまう。中小企業にとってもITを活用する能力は必須」
そう語る今野さんは今、今野製作所での経験を他の中小企業と共有しようと動き始めている。
株式会社今野製作所
本社・東京工場:東京都足立区扇1-22-4
電話:03-3890-3406
従業員:36人(2017年1月末現在)
資本金:3020万円
創業:1961年
事業内容:油圧機器事業、板金加工事業、エンジニアリング&サービス事業、福祉機器事業
1962年、東京都北区生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、大手工業用ゴム部品メーカーに入社、管理部門で10年間働く。96年、父親が経営する今野製作所に入社。2004年に代表取締役に就任。13年に協働によるものづくりをめざし、「東京町工場ものづくりのワ」を結成。
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